伯山:確かにこれは面白い。森さん驚くでしょうね。自分の似顔絵が大賞取って、どんな顔かと思ったら、栓抜きが置いてある(笑)。

山藤:あなたはどうして落語家ではなく講釈師、講談のほうを選んだわけですか。

森下:私もお伺いしたいです。

伯山:僕は談志師匠の「らくだ」にすごい感銘を受けたんです。とんでもないものを聞いたと思って。駅に帰る道すがらも、体が粟立って。そのときに分析したんです。談志師匠の「らくだ」の何がいいかって。要するに、らくだがいきなり死んでるところから始まって、後は回想シーンなんですよね、らくだってのは乱暴者で碌(ろく)でもない奴だったけど、死体になっても人を驚かしたっていう。そこにちょっと人間の奥深さみたいなものを感じて。後からわかるんですが、これって、講釈のやり方だなって。

山藤:それはすごい発見です。

伯山:落語にもあるのかもしれないですけど、これは講釈の奥深さだと。談志師匠は講談好きだったから、落語にそのテクニックを入れてるんじゃないかなと。

森下:なるほど。

伯山:人間の奥深さ。あそこまで、奥の深さを入れちゃうとやぼになると思うんです。でも、そのやぼなところに僕は引かれたのかな。講談って、人物を深く描くので。

 談志師匠の「らくだ」を通じて講談の魅力を伝えられた感じなんです。

 もちろん、落語も今でも大好きで、世界でも類を見ないエンターテインメントだっていうふうに思いますけど。実は講談のほうが、比較的、英雄などを扱う点などでは、世界でもよくあるエンターテインメントなんですよね。古典落語は約500で、古典講談は4500もあるんですから。

森下:そんなにあるんですか。

伯山:全然違うんです。やっている演者も少ない。だから、時々、「おまえ、落語好きなのに講談界へ行ったのは、競争が少ないから行ったんじゃないか」って言われるんです。でもそんなこと、全くなくて。講談のほうが最終的に面白い。でも、面白いっていうのを知っている人も少ない。

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