2020年4月、肺がんのため亡くなった映画監督の大林宣彦さん。俳優の尾美としのりさんが故人をしのび、思い出を振り返った。
■結婚式の乾杯は「スタート!」
大林監督が、僕との関係を「親父と息子のようなもの」とおっしゃったことがあったそうです。
最初の出演作になった映画「転校生」では、はじめて台本を読んだとき、中性的な役だったので、思春期だったこともあって、「これはやりたくないな。監督に嫌われて落ちよう」と思ってオーディションに臨んだくらいだったんです。20代のころに地方の映画祭に監督と出席することになり、前日に行って一緒に観光しないかと誘われたときにも断ったことがありました。さぞ言うことを聞かない“息子”だったでしょうね(笑)。
いわゆる“尾道3部作”や「姉妹坂」「ふたり」など、15本以上の監督作品に出演させていただきましたが、僕の中では、呼んでいただけるから行くという感覚でした。ベンガルさん主演の映画「北京的西瓜」では、僕はスケジュールの都合か何かで出演していないのですが、作中に当時僕が出演していたガムのCMが流れるシーンがあって、そこまでして(僕を)出したいのか!と驚いたこともありました(笑)。
監督とは10代のころからずっと接してきました。まれにスタッフに厳しく指導するものの、あまり怒らず、特に僕たち俳優には、すごく優しかったです。
「昔の活動屋さん」といった雰囲気もあって、かっこよかったですね。健啖家で、地方で僕が動けなくなるほど食べたこともありました。よく飲む方でもあって、お酒の飲み方も、監督に教わりました。味もまだよくわからないのに、かっこつけてまねごとで「ワイルドターキー、ダブルのロックで」と頼んだりもしました。
監督は向こうで新作を撮っているでしょうか。監督をマッサージしたとき、あまりにガチガチで岩のようで驚いたこともあります。日ごろ、「寝るのがもったいない」と、あまり眠らない方でしたから、ようやくゆっくり休まれているかもしれませんね。
僕が結婚したとき、大林監督が乾杯の挨拶をしてくれました。そのときの掛け声は、「乾杯!」ではなく「ヨーイ、スタート!」でした。「カット」の声はいつかかるんだろう……それは、僕が向こうに行ったときになるのでしょうか。
(構成:本誌・鮎川哲也、太田サトル、村井重俊/吉川明子)
※週刊朝日 2020年12月25日号