※写真はイメージです (GettyImages)
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 ドイツ文学者の松永美穂さんが選んだ「今週の一冊」。今回は『目の見えない私がヘレン・ケラーにつづる怒りと愛をこめた一方的な手紙』(ジョージナ・クリーグ著 中山ゆかり訳、フィルムアート社 2000円・税抜き)。

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 ヘレン・ケラーと聞くと、条件反射的にキーワードが浮かんでくる。「偉人」「三重苦克服」「奇跡の人」。「奇跡の人」は芝居のタイトルにもなっている。芝居の原作では「奇跡の人」はサリヴァン先生を指す言葉だったらしいが、ヘレンだって充分「奇跡の人」に値するだろう。この芝居では、ヘレンの子ども時代に焦点が当てられていた。最も有名なエピソードはやはり、ポンプで水を手にかける話だろう。水を手にかけながらwaterと綴ることで、サリヴァン先生はヘレンに、ものには名前があることを悟らせる。さまざまな名前や概念を知り、指文字というコミュニケーション手段を手に入れたヘレンの世界は、どんどん広がっていく。

 ヘレン・ケラーは盲聾という二重の障害を負っていた。幼くして聴力を失ったため、訓練によって発音を覚えるまでは、言葉を発することもできなかった。サリヴァン先生に出会って言語を獲得し、カレッジを卒業。在学中から著書を出版し、その後は世界中で講演活動を行った。来日も3度あり、熱烈な歓迎を受けている。

 障害者福祉のために広告塔となり、政治的にも活発に発言した彼女は、まさしく人々の希望の星となったはずだった。しかし、本書の著者はそんなヘレンにいちゃもんをつけ、彼女の達成のおかげで後世の障害者たちは「なぜヘレン・ケラーのようにできないの?」と周りから言われてしまう、と憤ってみせる。だが、そのように書く著者も、盲人でありながら大学講師兼作家であり、勤務する大学で最優秀教員賞に輝いたこともある、驚くべきキャリアの持ち主なのだ。

 著者は、手紙の形でヘレンに語りかけ、次々と疑問を投げかける。国際的な著名人となったヘレンが聖女のように扱われ、一種の偶像になってしまっていることを、著者はもどかしく思っている。本書はそうしたヘレン・ケラー伝説に切り込み、けっして語られなかった彼女の内心に肉迫しようとする、渾身の試みでもある。

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