そう言うと、今度は気を取り直したように顔を上げてこう続けた。

「もちろん、マイナスの局面をプラスにできた人は立派です。でもきっと、僕のような何もできなかった人だって少なからずいると思うんです。何もできなかった人たちに、僕は言いたい。『あまり悲観せず、“こういう人間がいたっていいじゃないか”と自分を肯定して、傷を舐め合いましょう』と(笑)」

 ユーモアたっぷりの情けなさは、果たして地なのか芝居なのか。よくよく話を聞いてみると、それも、かつての失敗から学んだ安田さん流の処世術であるらしい。

「過去に、作品世界に入り込みすぎて、周りが見えなくなることがあったんです。芝居って、真面目にやりすぎるとどうしても『我が』『我が』になってしまう。でも本来、役のキャラクターというのは、頭で考えて作り込んだものより、その場にいるスタッフや共演者とのやり取りの中で、自然に生まれてくるもののほうが魅力的なんです。私もこれまでに、自意識が働きすぎて、自分のダメな部分に直面して、袋小路に入ってしまったことがありました。今は、そういう自分を反省したので、適度に、適当に、でも的確に物事を捉えるよう意識するようにしています」

 自分自身を見つめるより、周りを見たほうがよっぽど前に進む力になる。いつだったか、そう気づいた瞬間があったのだそうだ。

 年齢と共に役柄が広がっていることには、「とても有り難いことだと思っています」とポツリと呟く。

「ただ、俳優には定年がないとはいえ、テレビや映画や舞台の作り手に、『この役を演じてほしい』と求められなければ開店休業状態です。いつまで役者を続けられるんだろう、という日々の漠然とした不安は、昔も今もこれからもずっと抱え続けるんでしょうね。じゃあどうしたら求められる役者でいられるのか? それを突き詰めようとすると、さっきの役に対しての話と同じで、頭でっかちになってしまう。生き方についても仕事についても、私のような単純な人間ほど、その辺は、“適度に適当に”を意識していかないといかんな、とも思います」

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