竹内結子さんの最後の注文は「緑茶ハイ」  「昨年暮れに会った時には…」と親族 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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竹内結子さんの最後の注文は「緑茶ハイ」  「昨年暮れに会った時には…」と親族

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上田耕司週刊朝日
竹内結子さん(C)朝日新聞社

竹内結子さん(C)朝日新聞社

 9月27日に急逝した女優の竹内結子さん。平成を代表する女優の一人の突然の旅立ちは、多くの人々の心に“ロス”を引き起こしている。同年代の主婦はこう話す。

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「私にとって、竹内さんは木村拓哉さんと共演したドラマ『プライド』(2004年、フジテレビ系)のヒロインなんです。恋多き女を演じて好きでした。亡くなったと知ってショックです」

 いまだ、多くの謎を残す今回の悲劇について、親族や、竹内さんの家族をよく知る人物、竹内さんが亡くなる前に足を運んだ飲食店関係者が語った。

 竹内さんが少女時代を過ごしたのは埼玉県さいたま市だった。竹内さんの母親が眠る市内のお墓には、親族がたむけたとみられるたくさんの菊の花が生けてあり、墓石には、竹内さんの母親が病気で亡くなった日付「平成6年6月、40歳」と刻まれているという。奇しくも、竹内さんも母親と同じ40歳で旅立ってしまった。

 竹内さんの母方の祖母の行きつけだった、さいたま市内の寿司店の女将はこう話した。

「うちの店に、結子さんのおばあちゃんはしょっちゅう来ていましたよ。寿司がお好きでね。もう20年来の常連です。結子さんのお父さんやお姉さんも、おみえになっていますよ」

 祖母は元教員で、かつて住んでいた一軒家の近くには教え子たちも多数いる。祖母は竹内さんが女優になったことをことのほか喜んでいた。

「結子さんがまだ女優デビューしたての頃、おばあちゃんの家の玄関には結子さんのカレンダーサイズのポスターが貼ってありました。孫娘が女優になったことをとても自慢だったようです」(近所の主婦)

 竹内さんは小学校時代、スポーツに熱中した。竹内さんの母親の親友だった家ではこう話す。

「結子ちゃんは小学生の頃、ミニバスケットボールをやっていてね。うちの娘も同い歳なので、学校対抗の試合で結子ちゃんに会ったと言っていました」

 中学2年生の時に竹内さんの母親が亡くなった翌年に父親が再婚したことなどから、竹内さんが家庭に対して複雑な思いを抱いていたともいわれている。ただ、前出の寿司屋の女将の話からは、家族仲の良さや、祖母の孫娘への強い愛情が伝わってくる。女将はこう続ける。


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