ギャンブル好きで知られる直木賞作家・黒川博行氏の連載『出たとこ勝負』。今回は、いまは亡き盟友と競輪の思い出について。
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黒い川を渡って博打(ばくち)に行く──。
デビューしたころ、何人かの編集者にいわれた。
「凝ったペンネームですね」と。別に凝ってはいない。本名だから。
わたしに博行という名をつけた船乗りの父親は、若いころ花札に負けすぎて、左の上腕に『花禁』というタトゥーを入れていたほどの博打好きだったが、もしかして、その血をひいたのだろうか。父親とは小学生のころから賭け将棋をし、中学生になると、ほとんど負けることがなくなった。いま思うと、父親の将棋はアマの一級くらいだったろう。高校生のころは一局・五百円で指し、あまりに勝ちすぎると怒りだすから、たまにはわざと負けるようにした。
わたしが芸大に行って京都に下宿していたころ、父親は所有していた内航タンカーを売って船舶ブローカーになり、暇を持て余したのか、賭場に出入りしはじめた。本人はいわなかったが、行くたびにサラリーマンの月給くらいは負けていたと思う。
芸大を出て大手スーパーに就職したころ、父親に誘われて賭場に行ったことがある(ふつう、子供をそんなところに連れていくか)。種目は花札を使ったカブだったが、フダごとの博打にはイカサマがつきものであり、そんなもので素人がプロに勝てるわけがない。わたしはずっと見(ケン)をして金は賭けず、父親を残して帰ったが、その一回だけの賭場見物がギャンブル小説を書く上で役立った。
賭場のほかに一回だけ経験したのは競輪だった。
2002年に立川で開催された“第55回日本選手権競輪”──。いまは亡き盟友イオリン(藤原伊織)とトオちゃん(白川道)とさる会社社長とわたしの四人が、トオちゃんの顔で五階の貴賓室に通された。窓際の席には液晶テレビがずらりと設置され、広大なレース場が一望できた。
「へーえ、トオちゃんはいつもこんな豪華なとこで馬券を買(こ)うてんの」
「馬券じゃない。車券」「で、今年の戦績は」「○○○万はやられてる」