平然としてトオちゃんはいったが、国産高級車なら三台は買えるほどの金額だった。その負けっぷりなら貴賓室は当然だ。
「まず、競輪の基本からレクチャーしよう」
トオちゃんは選手の脚質とかライン、位置どりなどを懇切丁寧に解説してくれたが、スポンジ頭のわたしにはさっぱり分からない。「このラインはAが先行してBがついていく。Cはこう動くからDはこう来る」
根が素直なわたしはトオちゃんの予想どおりに車券を買った。どうせ、そんなものは当たるわけがない。
そうしてはじまった第五レース。不思議なことにトオちゃんの予言どおりにラインができる。
ジャンが鳴り、最後尾につけていた選手がまくりに入った。先行グループをごぼう抜きにしてゴールを走り抜ける。まさにビギナーズラック。生まれてはじめて買った車券が的中した。
「トオちゃん、すごいやんか。めちゃかっこええわ」外れたらぼろくそにいうはずが、「ね、次のレースも教えて」
わたしはご機嫌で車券を買いつづけたが、あとはまったくの鳴かず飛ばずだった。
最終成績は、トオちゃんが70××、イオリンが10××の負け。わたしはイーブンだった。トオちゃんは負けを取りもどすべく、みんなを赤坂の雀荘に誘い込み、その結果はわたしのひとり勝ちに終わったから、競輪とわたしは相性がよかったのかもしれない。
黒川博行(くろかわ・ひろゆき)/1949年生まれ、大阪府在住。86年に「キャッツアイころがった」でサントリーミステリー大賞、96年に「カウント・プラン」で日本推理作家協会賞、2014年に『破門』で直木賞。放し飼いにしているオカメインコのマキをこよなく愛する
※週刊朝日 2020年9月4日号