これが意味するのは、歯が少ないと認知症発症リスクが高まるということだけではない。歯が少なくなっても咀嚼しやすい義歯を使えば、リスクを抑えられるということだ。山本さんは言う。

「歯を失う原因の約4分の3は歯周病と虫歯で、どちらも予防できるもの。とにかく1本でも多く歯を残しましょう」

認知症になっても歯の大切さは変わらない。

「いやだあ。帰る~」

東京都健康長寿医療センター歯科口腔外科の治療室で、そんな声が響いた。虫歯が進行して歯が折れ、咀嚼が困難になった認知症の高齢女性だ。もの忘れ外来の紹介で訪れたが、少し後ろで見守る夫のところに戻ろうとした。「今日は歯医者さんに来てくれたので、せっかくですからお口を診ましょうか?」。前出の平野さんや歯科衛生士が笑顔で声をかけると、次第に落ち着きを取り戻し、最後には口を開けた。

 これまで、どの歯科医にも診てもらえなかったという。認知症のためか、口の開閉の指示に従えなかったからだ。だが、食べ物をよくかんで食べることができなければ、十分に栄養を取れない。そこで現在は義歯を作り、これ以上歯を失わないケアを続けている。

 15年に認知症患者への国家戦略として発表された「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」では、「認知症高齢者等にやさしい地域づくり」が柱の一つになっている。「オーラルフレイル」(口の機能の虚弱)の第一人者でもある平野さんは言う。

「認知症になっても、しっかりご自分の歯でかんで、食事をおいしく楽しむことが大事です。そのためにも、口腔内を継続的にケアする。それにはご本人、そのご家族が安心して通ってくださる環境をつくることが大切です。今は、地域の歯科医師会に相談すれば、認知症の方を診る歯科医を紹介してくれる環境が整いつつあります」

(本誌・大崎百紀)

週刊朝日  2020年6月5日号より抜粋