寅さんは多くの視聴者に愛されていた。「スクリーンの中で寅さんを生きかえらせるのが僕の使命」と山田監督は痛感し、映画化を松竹に提案したが、経営陣は冷たい反応だった。「テレビがやったものを映画でまたやって客が来るのか」。だが城戸四郎社長(当時)の鶴の一声で変わる。

「それほど山田君がやりたいと言うなら、やらせてみようじゃないか」

 話はまた戻るが、ドラマの舞台についても実はあれこれあった。

 浅草? 上野? それとも巣鴨?

 だがどこもしっくりこない。山田監督が記憶の引き出しから取り出したのが以前、作家の早乙女勝元さんと一緒に歩いた葛飾柴又である。

 東京の東外れ。厳密には下町といえないかもしれないが、戦災にあっていない静かな門前町である。裏手には江戸川がゆったり流れている。旅から帰ってきた寅さんが羽を休めるのにふさわしい場所だった。

 タイトルは当初「愚兄賢妹」だった。テキヤの兄と腹違いの妹。その兄妹愛を描く人情喜劇である。

 だが、北島三郎が歌った「意地のすじがね」の一節「つらいもんだぜ男とは……」を渥美さんがよく口ずさんでいたことや、たまたま山田監督が書き終えたばかりのドラマが「男はつらい」だったことから「男はつらいよ」になった。

 主人公の名前は落語に出てくる「五郎」も検討されたが、威勢のいい「寅」に。次男坊なので「寅次郎」。姓は「轟(とどろき)」も考えたが、語感が強すぎるので「車」一つにしたという。

 いずれにしても、紆余(うよ)曲折を経て生まれたのが「男はつらいよ」なのである。冒頭高らかに鳴り響くあの主題歌も誰もが知る作品となった。作詞・星野哲郎、作曲・山本直純の黄金コンビ。音楽が果たした功績も大きい。

週刊朝日  2019年12月20日号より抜粋