大ピンチがつないだ縁…“世界のナベサダ”とラジオマンの幸せすぎる日常 (2/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

大ピンチがつないだ縁…“世界のナベサダ”とラジオマンの幸せすぎる日常

連載「RADIO PA PA」

延江浩週刊朝日#延江浩
延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞

COTTON CLUB SADAO WATANABE “TIME AFTER TIME”フライヤー

COTTON CLUB SADAO WATANABE “TIME AFTER TIME”フライヤー

 僕は先輩のOさんに電話をかけ続けた。繋がったのが深夜11時過ぎ。「貞夫さんにもう一度インタビューしたいんです」。藁(わら)にもすがる思いだった。番組『渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ』を長年担当していたOさんは、「わかった、局で待っていろ」。

 小一時間して到着した彼の車に飛び乗ろうと僕は烈(はげ)しくドアの角に鼻をぶつけ、傷口から血がぽたぽた落ちた。「こんな遅くに大変申し訳ありません」。Oさんが貞夫さんに深く頭を下げた。間接照明の素敵な居間だった。あらかじめ伝えてくれたこともあったのだろう、貞夫さんは君たちこそお疲れ様と笑った。

 僕は止まらない血をハンカチで押さえながらマイクをセット、数時間後に無事放送することができた。

 それ以来、Oさんは僕を貞夫さんのライブに連れていくようになった。貞夫さんも僕の名前を覚えてくれた。残念ながらOさんは亡くなったが、貞夫さんは東日本大震災時には真っ先に生番組に駆けつけ、被災地リスナーに向けて生演奏を披露して下さった。

 貞夫さんはいつもエネルギーに満ち溢れた演奏だ。そして、その演奏にはいつも新しいストーリーがある。

 先日のコットンクラブのライブは「リズム、ハーモニー、インプロビゼーション。自分の文章の先生はジャズだ」と明かしてくれた村上春樹さんに誘っていただいた。開演前、貞夫さんが春樹さんの席で固い握手を交わしながら二言三言。横に僕を見つけると「お! 延江君も来てくれたのか?」と微笑み、柔らかな手を差し出してくれた。

週刊朝日  2019年11月8日号


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

延江浩

延江浩(のぶえ・ひろし)/1958年、東京都生まれ。慶大卒。TFM「村上RADIO」ゼネラルプロデューサー。国文学研究資料館・文化庁共催「ないじぇる芸術共創ラボ」委員。小説現代新人賞、ABU(アジア太平洋放送連合)賞ドキュメンタリー部門グランプリ、日本放送文化大賞グランプリ、ギャラクシー大賞など受賞

おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事

あわせて読みたい あわせて読みたい