天皇の代替わりに伴う宮中祭祀(さいし)は、即位の礼に続いて11月14~15日に大嘗祭(だいじょうさい)が執り行われる。大嘗祭は、新天皇が新穀を神々に供え、国の安寧と五穀豊穣(ほうじょう)を祈る儀式で、稲作農業を中心とする収穫儀礼に根差すものである。歴代天皇が一世に一度行ってきた皇室行事だが、その“伝統”に異変が生じている。
【写真】外国人の職人らが参加した岐阜・白川郷での葺き替え作業
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皇居・東御苑では、舞台となる大嘗宮(だいじょうきゅう)の建設が、10月末の完成を目指して、急ピッチで進められてきた。大嘗宮は、大小約40棟もの建屋で構成される。その中でも、天皇が湯あみと着替えをする廻立(かいりゅう)殿、その年に収穫された稲の初穂を供える悠紀(ゆき)殿と主基(すき)殿は、合わせて主要三殿と呼ばれる。
ところが、その主要の場所に、本来あるべきものが、ない。平成の大嘗祭でも社殿の屋根にあった「茅葺(かやぶ)き」が消えてしまったのである。ススキやヨシなどイネ科の植物を使う茅葺き屋根は、大嘗祭の象徴的存在とされてきた。それが板葺きに変わってしまっているのだ。
宮内庁は昨年12月、板葺きに変更した理由について、「経費削減や工期の確保」などと発表した。
これには、茅葺き文化の伝統を重んじる団体や神社界から「五穀豊穣の祈りは、どこへ行ってしまったのか……」と、怒りや嘆きの声が上がった。
茅葺き文化の継承と振興に取り組む「日本茅葺き文化協会」代表理事の安藤邦廣・筑波大学名誉教授(建築学)が語気を強めて言う。
「稲作自体は弥生時代から始まりますが、稲作農耕を基盤とした国づくりが始まるのは1300年前の天武天皇、持統天皇のころです。同時に大嘗祭も行われるようになりました。大嘗宮の茅葺き屋根はその象徴で、長きにわたって継承されてきた伝統なのです。その文化的価値を令和の時代で途絶えさせていいのか。宮内庁の対応には疑問を抱かざるを得ません」
大嘗祭は、応仁の乱が始まる前年の1466年を最後に約220年間途絶えたが、江戸時代の1687(貞享4)年の東山天皇の即位で再興された。
宮内庁はコストカットを言い募るが、大嘗祭の関連経費は、大嘗宮建設を含めて27億1900万円に上る。人件費や建材費が高騰したため、前回よりも約4億7千万円も増えている。