林:そこで笑いをとるって、本当にすごいですよね。でも、遠藤先生が番審の委員をなさってたって初めて知りました。

遠藤:もう三十何年前のことです。

林:お父さまは「出版社に行け」とおっしゃらなかったんですか。

遠藤:いや、特には。ただ、フジテレビに就職が決まったときに、書斎にあいさつに行ったら、「先週、母さんと江の島に行ってな、江の島の砂浜を歩いとったら、足を取られて疲れるんや。それで途中から舗装した国道を歩いた」と、よくわからないことを言うんです。

林:ええ。

遠藤:何を言いたいのかと思ったら、「要するにそういうことや。俺は自由業で、砂浜を歩いとるからしんどいが、振り返ると自分の足跡が見える。おまえはこれから舗装道路を歩く。歩きやすいが、20~30年たって後ろを振り返っても、自分の足跡は残っとらん」と言ったんですよ。

林:ほォ~、さすがに文学者ですね。

遠藤:でも、ふつうは「おめでとう」とか「つらいこともあるだろうが、頑張れよ」とか言うじゃないですか。そんなことを言うかと思ってびっくりしました。

林:だけど今、フジテレビの社長になったと聞いたら、先生、すごくお喜びだったんじゃないですか。

遠藤:どうなんですかねえ。父は体を悪くしちゃって、一緒に飲めたのは4年間ぐらいだったんですけど、飲んでるときにこんなことも言われました。「課長とか部長とか、あんなのは一時的に会社から貸与された貸衣装だ。社長だって3期6年もやれば潮時だ。会社から貸与された貸衣装の色が派手だとか地味だとか、そんなことにこだわるのはみっともないからやめろ」と言われて。それもそうだなと思い始めていたら、一呼吸おいて「俺は死ぬときも小説家として死ぬと思う。だから俺は英國屋で仕立てたスーツなんや」と言って、それがオチだったんです(笑)。

(構成/本誌・松岡かすみ 編集協力/一木俊雄)

週刊朝日  2019年10月25日号より抜粋