遠藤龍之介(えんどう・りゅうのすけ)/1956年6月3日、東京都生まれ。81年慶大文学部を卒業し、同年フジテレビ入社。「スタア誕生」「剣客商売」「鬼平犯科帳」など、数々の番組を手掛ける。2001年編成制作局編成部長。03年広報局広報部長。06年広報局長。07年取締役。10年常務取締役。13年専務取締役。17年専務取締役、社長補佐等担当。今年6月から現職。 (撮影/写真部・片山菜緒子)
遠藤龍之介(えんどう・りゅうのすけ)/1956年6月3日、東京都生まれ。81年慶大文学部を卒業し、同年フジテレビ入社。「スタア誕生」「剣客商売」「鬼平犯科帳」など、数々の番組を手掛ける。2001年編成制作局編成部長。03年広報局広報部長。06年広報局長。07年取締役。10年常務取締役。13年専務取締役。17年専務取締役、社長補佐等担当。今年6月から現職。 (撮影/写真部・片山菜緒子)
遠藤龍之介さん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・片山菜緒子)
遠藤龍之介さん(左)と林真理子さん (撮影/写真部・片山菜緒子)

 6月にフジテレビの新社長に就任した遠藤龍之介さんが、作家・林真理子さんとの対談にご登場です。遠藤社長の父は、マリコさんとも親交の深かった作家の故・遠藤周作氏。テレビの変革期にトップとして局を率いる思い、そして今は亡き大作家の素顔が垣間見えるエピソードまで、マリコさんが迫ります。

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林:社長は最初どこの部署にお入りになったんですか。

遠藤:最初は系列局との調整をするネットワーク局という管理部門にいて、3年くらいで編成に異動になって、そのときの局長が日枝(久=現相談役)だったんです。部長がのちに社長になった村上(光一)で、隣の席も社長になった亀山(千広)で。

林:代々社長になる方ばっかりじゃないですか。そのころ出社は何時だったんですか。

遠藤:火曜日と木曜日だけ10時から会議があるので9時半ぐらいに行くんですけど、あとの日は適当で、昼までに行かなくてもそんなに怒られないんです。

林:そうなんですか。

遠藤:そうはいっても10時過ぎぐらいには会社に行って、デスクに荷物を置くと下の喫茶店に行って、コーヒーを飲みながら同僚と「きのうのパーティー、つまんなかったね」とかいう話をしてると、そこにプロダクションの人が来たりして、「実はきのう言おうと思ったんだけど、こんな企画があってさ」「おもしろいっすね」とか言いながら、そこで企画が決まったりしたんですよ。喫茶店やバー、六本木のミニクラブとかで決まったり、そういう時代でした。

林:それはバブルのころですか。

遠藤:今、悪い意味で「バブル体質」と言われてますけど、そういう時代でしたね。

林:かつては視聴率の年間三冠王に輝いていたフジテレビが、昨今は信じられないほどの低迷にあえいでいましたが、遠藤社長がご就任なさってから調子いいんじゃないですか。ドラマの視聴率もいいみたいだし、いい気が回り始めてるなという感じがします。

遠藤:ありがとうございます。社員には「おもしろいことのそばにいてほしい」と言ったんです。おもしろいことのそばにい続けるには、時流を読む気持ちとか好奇心がないといけない。それに、その人自身がおもしろくないと、おもしろいことってなかなか寄ってこない。データ主義みたいなところから、アナログというか、昭和っぽいというか、そっちのほうに回帰したいと思っています。

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