北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表
北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表
イラスト/田房永子
イラスト/田房永子

 作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。今回は慰安婦問題解決を求める水曜デモについて。

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 8月14日に韓国行きの飛行機に乗った。直前に行くと決めたのに希望の便はすんなりと取れ、ふだんであれば満席の早朝便に空席がちらほらと目立った。

 金浦空港からはタクシーで日本大使館前に直行した。1992年1月から毎週水曜日に「慰安婦」の女性たちと支援者は日本大使館前に立ってきた。この日は1400回目の区切りの日で、しかも8月14日に重なった。91年に金学順さんが「私は慰安婦にさせられた」と声をあげた#MeToo原点の記念日だ。

 混むから適当な所で、と言うのにタクシーはぐんぐんと大使館方向の狭い道に入っていった。スイヨウデモニキマシタと、つたない韓国語で伝えると「安倍はだめ、でも日本は好き」と日本語で話してくれた50代の男性運転手だった。

 正午少し前の強い日差しの中、既に日本大使館前には人だかりができていた。夏休みだからか中高生も多く参加していて、最終的には2万人以上が集まったという。

 これまでも水曜デモには参加してきた。スピーチやダンス、歌に芝居といった現在の韓国流デモは水曜デモが生み出したと言われているが、今、日本全国で行われている性暴力に抗議するフラワーデモも、この水曜デモに影響を受けている。大声をあげるのではなく、自分の考えや思いを語り、痛みの言葉を共有する場だ。

 それにしても1400回。いったい誰がこれほど長い闘いになることを想像しただろう。というか、私自身がちょっとくらくらする。金学順さんの声を聞いたのは、大学生のときだった。それまで「癒やしとしての買春」だった「慰安婦」が、「性暴力だった」と歴史を変えた瞬間だ。当然すぐに解決されるだろうと信じていたが、日本社会を甘く捉えすぎていたというものだ。「あんた、28年後もこの問題に怒りまくっているよ」と過去の私に伝えたら、「そんな人生は嫌だ」と20歳の私は泣くだろう。

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北原みのり

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北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。女性のためのセクシュアルグッズショップ「ラブピースクラブ」、シスターフッド出版社「アジュマブックス」の代表

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