「その通りです。マウンティングがやめられない人というのは、自分の現状に納得ができていないんです。端から見たら立派に見えるようなポジションでも、本人自身が自分の現実を受け入れられないから、マウンティングして自らの不安をかき消そうとするのです」と教えてくれたのは、『「上から目線」の構造』『50歳からのむなしさの心理学』の著者で心理学者の榎本博明さんだ。

 本当は、自分の人生はもっともっと輝かしいものであるはず。いまの自分なんて仮の姿ですから! そんなコンプレックスの裏返しが「上から目線」を後押ししてしまうのだ。

「でもやっかいなことに『コンプレックス』というものは無意識の内にありますから、マウンティング行為をしている本人に、まったく悪気はないのです」

 そして悪気がないからこそ、繰り返してしまう。自分より上の立場の人間には丁寧なのに、自分より下と位置付けた人間にはとことん、ぞんざいな態度をとる。わざとらしく名字を呼び捨てにしてみたり、命令口調で話してみたり。口を開けば、自分の過去の手柄を語りたがったり……。

「そんな自分の姿がどれだけ見苦しいか、想像をしたこともないのでしょう。そういう人は自分を客観視する『自己モニタリング』のカメラが壊れてしまっているので。ただ、周りの人はしっかり見ていますからね。本人に何にも言わなくても『仕事でのつながりが切れたら、もうあんな人とはつきあいたくない』と思っている人は多数いるはずです」

 このようにして、マウンティングがやめられない人の“孤独への道”は確実に開かれていくのだが、実は職場ひとすじ、仕事ひとすじで生きてきた人ほど、孤独な老後へ突き進む危険性が高いという。人生のすべてが仕事中心だったために、個人対個人という人間関係をまったく持っていない。そのため仕事のしがらみがなくなった時点で、“人とのつきあい”というもの自体が消滅してしまうからだ。

週刊朝日  2019年9月6日号より抜粋