著名人が人生の岐路に立ち返って振り返る「もう一つの自分史」。今回は堀内孝雄さん。大ヒットを連発し、その後、幾度も再始動する谷村新司さん、矢沢透さんとの3人組フォークグループ「アリス」という存在は? 少年時代、姉のラジオから流れる一曲で目覚めたミュージシャンの歩みとは?
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――父は大阪市内で大衆食堂を営んでいた。お店のラジオから流れる流行歌、三橋美智也や春日八郎の曲を物心つくころには口ずさんでいた。
おばあちゃんが寝る間際に枕元で歌ってほしいといつも呼ばれてました。枕元で正座して歌うと、「あんた、上手やなぁ」って。歌うことが好きだったんでしょうね。
――中学生のころから「ベーヤン」と呼ばれるようになった。高校時代、姉のラジオから流れる曲に衝撃を受けた。ザ・ビートルズである。
「サンキュー・ガール」という曲でした。聞いたことのない音楽が耳に飛び込んできてびっくりして。姉の部屋に飛び込んで、「なんやねん、これ」って。それまで主流だったポール・アンカやニール・セダカといったアメリカンポップスとも全然違う。それからとりこになって。実際の発音と同じように歌いたいから、「アワナホージョー ヘーーン」とか、全部カタカナで書き起こしておぼえましたね。
――大学生時代、3人組のバンドを結成。ライブハウスのオーディションで審査員をしていたのが、「チンペイ」こと谷村新司だった。
そのとき、他の審査員は「×」をつけたのに、チンペイさんだけが「○」をつけたそうです。結局そのバンドも解散して、他のバンドをやっていたところ、チンペイさんに、一緒にやろうって声をかけられたんです。あとで聞いたのですが、ベーヤンのボーカルは当時から光っていたと。お前とやりたかった、と言われました。そのとき声をかけてもらっていなかったら、たぶん、食堂の親父さんになっていたでしょう。
――谷村新司と堀内孝雄のツインギター、ツインボーカル。そこに、アマチュアバンドの仲間内でも一目置かれていたドラマーの矢沢透(キンちゃん)が遅れて加入した。グループ名は、「アリス」。米UCLAにあるレストランの名前が由来である。