それほど深い意味はないんですよ。英語で書いてみたらすごくよかったし、男なのに女の子の名前っていうのも面白いって。デビューはできましたが、最初はなかなか思うように売れなくて。「もっとメロディアスな曲はないの?」って言われて、カバー曲ですが、当時練習曲としてやっていた曲をやってみせたら、「早く教えてよ! これいいよ」と言われたのが、「今はもうだれも」なんです。これがスマッシュヒットになってそのあとチンペイさんが、「オレ、わかりやすい詩を書くよ」と言ってできたのが、「冬の稲妻」。電話でメロディーを聞かせると、「これ、当たるわ」と、チンペイさんが断言した通り、初めてトップテン入りできましたね。

――その後も、「ジョニーの子守唄」「チャンピオン」「秋止符」「狂った果実」など、ヒットを連発。そんななか、1978年に堀内は資生堂のCMソング「君のひとみは10000ボルト」でソロデビュー。

 もともとアリスにきたお話だったのですが、忙しくなりすぎてチンペイさんが倒れちゃったんです。断ろうかと言っていたら、堀内一人でもいいと。詩はチンペイさんで、メロディーを聞かせたら、自分はふせってるのに、イケるぞ、これ!って。本当に1位になって、びっくりしましたよ。

――81年11月、人気絶頂の中、アリスは後楽園球場での公演を最後に活動停止する。

 そこから5年ほど停滞しました。長く感じましたね。ずたずたになってたころ、ばったり会ったチンペイさんに、「そろそろアリスやんない?」って言ってみたんです。そしたら、「いや、そんな気はないよ」と言われて。そうか、それだったら一旗あげて、向こうがやろうよって言うまでがんばらないとって。

 でもそんな時期でもチンペイさんは、ディナーショーをのぞきにきてくれてたりしてね。うれしかったですね。そんな中、大型時代劇のテーマ曲を歌わせていただくことになったんです。その第2弾で、小椋佳さんに詩を書いていただいた「愛しき日々」は、大きかったですね。

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