ある日のことです。雷蔵さんに「オレの代わりに芝居見に行ってくれるか?」って言われたんです。「いいですよ、やることないし」と答えると「あとで切符届けるからね」と。で、お付きのおじさんが切符を茶封筒に入れて持ってきてくれたんです。

「じゃあ行ってきます!」と封筒を開けると「あれ、お金が入ってる」。雷蔵さんが切符のほかにお金を入れてくれていたんです。芝居のあとにご飯を食べるか、一杯飲んで帰りなさいよ、ということでしょうね。

 雷蔵さんはあのとき、まだ34、35歳くらいだったと思います。自分はその年になっても、とてもそんな心遣いはできなかった。自分のことで精いっぱいでね。

 なぜオレに切符をくれたんだろう、と思うけど、たぶん「こいつはヘタだから芝居を見せて、少しでもお芝居というものがどういうものかを考えさせよう」ということじゃないでしょうか。見たあとで、三隅監督や助監督さんたちが「今日の芝居はこうだった」って意見を言い合うのを見て、勉強させてもらいました。

 三隅監督は等身大の大きな鏡をくださいましてねえ。「自分の姿を映しなさい」と言われました。自分というものがどういうものかを、鏡でよく見なさい。そしてその自分を使って芝居を表現しなさい、と。やはり雷蔵さんや三隅監督との出会いは大きかったですねえ。

――1969年に雷蔵さんが37歳で亡くなるまで、よき関係は続いた。71年にフリーとなり、多くのドラマや映画に出演してきた。

 俳優をやる前は「自分にも才能があるかもしれない」と思っていたけれど、ふたを開けてみたら何の才能もなかった。

 いや、本当です。だんだん気づいていきますよ。まったくゼロではないかもしれないけど、いや本当に才能のある人はこんなもんじゃないな、と。

 でも、じゃあ才能がないとダメなのか、というと、そういうことでもないと思うんです。才能がなくても経験値を増やしていけば、俳優をやっていけるんじゃないか、というふうにね。

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