ヒット・シングル「フォーカス」では、ヘヴィなシンセ・ベースにトラップ風のドラムスや、プログラミングによるらしいピアノが絡む。H.E.R.はファルセットを主体に切ない歌声を聴かせる。2人でいても孤独を感じるようになった恋人に、目を覚まして“私に焦点をあわせて”と懇願する歌だ。

 カナダのダニエル・シーザーとの共作でデュエット曲の「ベスト・パート feat. ダニエル・シーザー」。生ギターをフィーチャーしたシンプルなサウンドをバックにした熱烈なラヴ・ソング。官能的な歌いぶり、絶妙なハーモニーが聴きどころだ。

 アルバムの冒頭を飾る2曲のうち、「ルージング」では恋人を失いかける不安な心情を、「アヴェニュー」では恋人との心の隔たりを歌う。いずれも、気だるい歌い方で憂鬱な心情を表現している。「ファクツ」「エブリー・カインド・オブ・ウェイ」では、恋人への熱い思いを直接的に表現するように、ファルセット交じりの甘く濃密な歌を聴かせる。

「ライツ・オン」では“シーツの中で雄弁な私を見て”“行為の最中は灯りをつけたままで!”と歌う。「セイ・イット・アゲイン」は、“お話はもう終わり その口は別のことに使って~あなたに食べさせてあげる”という挑発的な曲。その妖艶さにはドキリとさせられる。

 甘く切ないメロディーとメローなサウンド。ユーモアを込めつつ、恋愛の喜び、ほろ苦さ、さらには性愛の行為を赤裸々につづった歌詞。話題になって当然だろう。

 作詞、作曲の才能と表現力に富んだ歌唱……新鋭のアーティストとは思えぬ実力の持ち主で、これからが楽しみな存在だ。(音楽評論家・小倉エージ)

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小倉エージ

小倉エージ

小倉エージ(おぐら・えーじ)/1946年、神戸市生まれ。音楽評論家。洋邦問わずポピュラーミュージックに詳しい。69年URCレコードに勤務。音楽雑誌「ニュー・ミュージック・マガジン(現・ミュージックマガジン)」の創刊にも携わった。文化庁の芸術祭、芸術選奨の審査員を担当

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