最初の結婚は人違いの“文通”が縁 蛭子能収の寂しがり屋人生 (2/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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最初の結婚は人違いの“文通”が縁 蛭子能収の寂しがり屋人生

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蛭子能収(えびす・よしかず)/1947年、長崎県生まれ。長崎商業高校卒業後、看板屋、ちり紙交換、ダスキン配達などの仕事を経て33歳で漫画家に。俳優・タレントとしても活躍中。主な著作に『蛭子能収コレクション』(マガジン・ファイブ)、2014年に発表した『ひとりぼっちを笑うな』(角川新書)が13万部超のベストセラーに (撮影/写真部・小山幸佑)

蛭子能収(えびす・よしかず)/1947年、長崎県生まれ。長崎商業高校卒業後、看板屋、ちり紙交換、ダスキン配達などの仕事を経て33歳で漫画家に。俳優・タレントとしても活躍中。主な著作に『蛭子能収コレクション』(マガジン・ファイブ)、2014年に発表した『ひとりぼっちを笑うな』(角川新書)が13万部超のベストセラーに (撮影/写真部・小山幸佑)

蛭子能収さん (撮影/写真部・小山幸佑)

蛭子能収さん (撮影/写真部・小山幸佑)

 4年半くらいそこにいたんですけど、「やっぱりオレはこんなのはいやだ」って思って。看板屋の社長に「大阪万博に行きたい」とうそをついて休みをもらい、帰らないつもりで東京行きの列車に乗りました。

 列車の中から社長に手紙を書きました。「本当にすみません。東京に行きます。長崎にはしばらく帰らないつもりです」って。

――子どものころから漫画好き。特に水木しげるやさいとう・たかをの“劇画”をむさぼるように読んだ。だが、自分で漫画を描き始めるのは、まだ先の話だ。

 東京では映画関係の仕事に就きたいなと思ってたんです。小学校の高学年から近所の映画館に入り浸るようになって、「ゴジラ」や「クレージーキャッツ」の喜劇、時代劇を見まくっていた。あのころは漫画よりも映画にハマっていたかもしれない。

 だから東京で最初は「シナリオ・センター」というところに行ったんです。映画のシナリオの書き方なんかを学ぶところだから、ここで映画関係の友達ができるかなと思ったんですけど、一人もできませんでした。1年間、誰ともしゃべれなかったんですよね。自分から「お茶飲みに行きませんか」とか誘えないんですよ。誰かが誘ってくれるのを待ってたけど、誰も誘ってくれないから。

 その間に食事付きの寮がある看板屋の仕事をみつけて、雇ってもらったんです。結局、看板屋さんなんですよ(笑)。寮があってよかったんだけれど、1年後に後輩が入ってきて、なんとなく窮屈になって、寮を出たくて会社も辞めちゃいました。

 その後はちり紙交換の仕事やダスキンの営業もやりました。どれもひとりで決められた地区をまわる、ひとりでできる仕事だったなあ。

――ひとりが好き。でも孤独は好きじゃない。寂しがり屋の性格が功を奏したこともある。

 東京に来てしばらくして寂しくなって、長崎に手紙を出したんです。長崎でオレがいつも行っていた文房具屋さんがあって、そこに3姉妹がいた。店に行くとそのなかの誰か一人が出てきて対応してくれていたんです。

 実は目当ては真ん中の人だったんです。すごくきれいだったんですよ。でもその人の名前を知らなかった。で、真ん中の人に宛てたつもりで手紙を書いたら、一番下の人に届いたらしくて、その人が連絡をくれた。それで文通をするようになって。

 で、その人が東京に出てきたんです。会ったときには「ああ、この人だったんだ……」とちょっと思いました(笑)。多少、予測はしていたんですけどね。

 で、一緒に住むようになって。それが最初の奥さんです。


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