――周囲の知人や友人も心配する憔悴ぶり。そして、07年に19歳年下の女性と再婚をする。

 当時は、とにかくものすごく寂しかったんです。そのころストアに行くと、女の人がすごく話しかけてくるんですよ。「蛭子さん、寂しいでしょう」って。全然知らない人が声をかけてきて「ごはん作りに行きましょうか」とか、よく言われました。ちょっとうれしかったけど、来てもらうわけにはいかないんで(笑)、全部断りましたけど。

 でも本当に寂しくってね。夜、ひとりで家にいると気が変になりそうだった。

 このままではダメだ、と思っていたとき、女性誌の編集の人が「蛭子さん、お嫁さんを募集しませんか」って言ってくれたんです。そしたらいまの奥さんが応募してきた。いまでは文句ばっかり言われてるんですけど、「あのときは自分から来たのにな~」って思います。

――競艇などギャンブル好きで知られる蛭子だが、実は堅実。締め切りは必ず守り、仕事は断らない。テレビでみせる顔とは別の一面があるからこそ、声がかかり続け、いまでもイラストの仕事を7誌ほど抱えている。

 ギャンブルでは自分が使えるお金しか賭けないし、生活費をわけた分でやっています。

 お金は稼がないといけないので、仕事はどんな仕事でも引き受けたいと思ってるんですよね。引退とか悠々自適のようなことは絶対考えられないです。自分は死ぬまで働く、って感じですね。サラリーマンみたいに一定のお金が常に入ってくるわけじゃないので。いつ思わぬ大きな休みがやってくるかわからないし。

 なんか、欲深じいさんみたいになってるかな(笑)。

 でも東京に出てきて、漫画を描き始めたころに、ちゃんと対価をもらえなかった、きちんと「ください」と言えなかった、という体験がいまでも尾を引いてるんでしょうね。

「ああ、ご苦労さんでした」って言われて「え……?」って。立場が逆なら、僕は絶対に払いますよ。フリーランスに対してはお金のことはきちんとしてほしいですよねえ(笑)。

――これからもテレビの仕事をしながら、漫画の仕事も続いていくことを祈ってます。(聞き手・中村千晶)

※週刊朝日 2019年1月25日号