――ニコル少年が10歳のとき、母が再婚をした。再婚相手の影響で海軍予備員の訓練生になり、ニコルは闘う術を覚えていった。

 おやじは素晴らしい人で、海軍に27年勤めていて、僕は最初から彼が大好きでした。おやじのようになりたくて12歳でシー・カデット(海軍予備員の訓練生)になったんです。

 シー・カデットに入ってカヤックをこいだり、ライフルを使ったり、柔術を習ったりしたことで体ができた。自分をいじめていたやつらに勝つことができるようになったんです。でもそうすると今度はケンカに勝つことが楽しくてしかたない。逆に僕が、学校のイヤなやつらをいじめるようになったんです。

 そんな私を見てシー・カデットの上官が父に「あなたの息子はこのままいくと大変なことになる」と言った。「ちゃんと柔道を習ったほうがいい」とアドバイスしたんです。シー・カデットで習ったことは相手を倒すための技だけ。礼儀を学ばせようと思ったんでしょう。僕は14歳から町の柔道場に通うようになった。

――15歳のとき、運命を変える人と出会う。柔道家・小泉軍治。イギリス柔道の父と呼ばれる人物で、戦時中もロンドンで柔道を教えていた。その小泉が3日間、ニコルの道場に柔道を教えに来たのだ。

 小泉先生は僕が初めて会った日本人でした。ものすごく紳士でダンディーで、英語も美しい。

 でも、期待に反して、1日目に習ったのは「おじぎ」だけ(笑)。「いつ柔道を教えてくれるの?」「別に強くないじゃん」と思った。

 3日目にわれわれの先生と小泉先生が稽古をしたんです。小泉先生は小柄で、われわれの先生は184センチはある元海兵隊の特殊部隊の兵士でした。そんな人が小泉先生に、人形みたいに飛ばされたんです。「すごい!」と衝撃を受けた。

「日本に行って、小泉先生が学んだ講道館の畳の上で柔道をやりたい」

 それが僕の夢と目標になりました。

――12歳からなりたかったもう一つの夢が探検家。17歳から2回、北極圏探検の調査に同行した。カナダ北部のイヌイットと暮らし、大自然の厳しさのなかで生きる術を磨いた。

 北極から帰ってから、プロレスをやり、そのあと、海軍の特殊部隊を目指しました。結局は近視で断念。そのとき、3回目の北極遠征隊のメンバーとして声がかかった。今度は19カ月北極にいて、本当はずっと居続けようかとも思いました。

 でも、やっぱり小泉先生のルーツである日本に行きたい。英国では習えなかった幻の格闘技「空手」も習ってみたい、と思ったんです。

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