「紀州のドン・ファン」こと、和歌山県の資産家、野崎幸助さん(享年77)の怪死事件から5カ月足らず。和歌山県警は殺人容疑で捜査に乗り出すも、いまだ犯人は特定されていない。野崎さんの55歳下の妻と共に第一発見者となった家政婦の竹田純代さん(67)が、独占取材に応じた。
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──現在は東京都内の自宅に戻って生活をされているそうですね。
事件直後は、まるで私が犯人であるかのような報道をされましたので、自宅だけでなく、和歌山の実家にもマスコミが押し寄せました。過剰なマスコミの取材と報道、インターネットへの書き込み、正直、本当にうんざりしております。一度は精神的に参ってしまい、自分の映るテレビを一日中見ては、鳴りやまないマスコミからの電話に外にも出られなくなってしまいました。実家に戻ったら記者が無断で家のなかに入っていたときは、警察に取り締まってもらうようにお願いしました。
──事件前はご家族の方と同居されていたんですか?
はい。ただ、この事件をきっかけに引っ越しました。一時期、娘が野崎社長の奥さんのSさんと間違われたことがあって、インターネット上で、「私とSさんが東京で同居している」といううわさが広まり、娘も長い間自宅に戻れない日々が続きました。
──そもそも野崎社長と出会ったのはいつですか?
出会いは30年ほど前にさかのぼります。和歌山県のとある町の議員だった父が友人の借金の保証人になって、数百万円の債務を背負ってしまいました。その友人に支払い能力はなかったので、すぐに父のもとに請求がくるようになりました。けれど、その翌年に父は議員を落選してしまい、しだいに返済は難しくなっていきました。当時、私は東京・六本木でクラブを経営していましたが、実家が競売にかけられるかもしれないと聞いて、それを阻止するために和歌山に戻ることにしたのです。
──借金の返済相手が野崎社長だったんですね。
はい。それで金融会社を訪ねると、事務員に裏にある野崎社長の家に行くように指示されたんです。野崎社長は、当時から地元では「女好き」として有名でした。家に行ったら案の定、「今日の夕飯付き合ってもらえませんか? 一人で来てくださいね」と誘われました。私は30代半ばで、結婚していましたし、子供もいましたが、「わかりました」と答えるしかありませんでした。その夜、野崎社長は、高級旅館の懐石料理を予約されておりました。しばらくすると「今夜ここに泊まりませんか」と誘われたんです。