これで終わりかと思ったら、母は今更しょうが焼きを出してきた。「そんなに食えるかよ」と言ったら「じゃお母さんがちょこっと食べよう」だそうな。自分が食べたいとき、必ず他人を誘う母。独りで食べることに罪悪感があるらしい。

「アイスがあるよ」「いらないよ」「スイカあるけど」「食べられないよ」「カキモチは?」「明日食べます……」「チョコパイ食べる?」「しりとりかよっ!! しかも飯食ったあとにチョコパイって! いちいち聞かずに勝手に食ってくれっ!」「でも、お母さん独りで食べちゃ悪いから」。しょんぼりしやがって……。「じゃあ、俺もチョコパイ半分だけ食うかな」。完敗だ。インスタントコーヒーで半分のチョコパイを流し込み、もうちょっと親父と酒でも飲もうかと思ったらお爺ちゃんは孫と風呂に入り寝てしまったらしい。

 ソファに寝転がり膨れた腹をさすりながら、建て増しする前の実家の間取りを思い出そうとしても、なんだかやけに時間がかかる。実家にいた頃はこのソファもまだなかった。その代わり、今はもう自分専用の箸がない。「どれでもいいからお使いよ」。これは意外とさびしいものだ。正月には自分で箸を持参して、実家に置いておこうか。

週刊朝日  2018年9月7日号

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春風亭一之輔

春風亭一之輔

春風亭一之輔(しゅんぷうてい・いちのすけ)/落語家。1978年、千葉県生まれ。得意ネタは初天神、粗忽の釘、笠碁、欠伸指南など。趣味は程をわきまえた飲酒、映画・芝居鑑賞、徒歩による散策、喫茶店めぐり、洗濯。この連載をまとめたエッセー集『いちのすけのまくら』『まくらが来りて笛を吹く』『まくらの森の満開の下』(朝日新聞出版)が絶賛発売中。ぜひ!

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