レイテ湾への出撃を前にした万朶(ばんだ)隊=1944年11月5日 (c)朝日新聞社
レイテ湾への出撃を前にした万朶(ばんだ)隊=1944年11月5日 (c)朝日新聞社
日本機の特攻を受けて炎上するアメリカ海軍空母バンカー・ヒル=印刷物の複写。1945年5月11日、特攻機2機の突入によって大きな損害をこうむった (c)朝日新聞社
日本機の特攻を受けて炎上するアメリカ海軍空母バンカー・ヒル=印刷物の複写。1945年5月11日、特攻機2機の突入によって大きな損害をこうむった (c)朝日新聞社

 太平洋戦争末期、爆弾を抱えた飛行機で米軍の戦艦に体当たりする旧日本陸海軍の自爆攻撃「特別攻撃隊」に関する書籍が相次いでベストセラーになっている。究極の犠牲精神と美化されることもあった特攻隊の「虚像」が関係者の証言などで明らかになってきた。戦後73年、いまなぜ特攻隊が注目されるのか──。

【写真】日本機の特攻を受けて炎上するアメリカ海軍空母バンカー・ヒル

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 特攻隊として出撃すること9回。その度に生還したパイロットがいた。しかも急降下爆撃で戦果をあげて。本来なら上官は称賛してしかるべきであろうに「次こそは必ず死んでこい」と激怒したという。なんとも衝撃的なエピソードが語られるのは、『不死身の特攻兵軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社現代新書)。作家の鴻上尚史さんのノンフィクションで、昨年11月発行以来、増刷を重ね18万部を突破した。

 同じく12月に刊行され、「体当たり戦法」も含めて戦争の実態を明らかにした吉田裕著『日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)も13万部を数える。鴻上さんが読んで『不死身の特攻兵』を書くきっかけになったという、大貫健一郎・渡辺考著『特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た』(朝日文庫)など、特攻隊に絡む書籍の文庫化や復刊も相次いでいる。

「特攻隊」が多くの人に鮮烈な印象を与えたのは、昭和20(1945)年5月11日、日本陸軍第六航空軍と海軍特攻機64機が出撃した沖縄戦で、嘉手納湾に停泊していた米空母バンカー・ヒルに2機の特攻機が体当たりし、黒煙を上げる映像だろう。

 米側の資料では、ヒルの乗員402人が戦死、戦傷者264人。ほかに駆逐艦エヴァンスに4機が命中するなど、前年10月から始まった「特攻」の中で、最も被害が甚大だったといわれる。

 一般に「カミカゼ」と言われるが、昭和19(44)年10月25日、レイテ(フィリピン)防衛戦に投入された海軍初の「神風(しんぷう)特別攻撃隊」は、劣勢に追い込まれた日本軍の起死回生の作戦だった。零戦に250キロ爆弾を装備して敵艦に体当たりする。

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