ミッツ・マングローブ「演技? 気質? マジギレする戸田恵梨香」
連載「アイドルを性せ!」
ドラァグクイーンとしてデビューし、テレビなどで活躍中のミッツ・マングローブさんの本誌連載「アイドルを性(さが)せ」。今回は「戸田恵梨香さん」について。
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設定、台詞、結末といった制約の中で、与えられた『役』を演じる。それが俳優や女優と呼ばれる人たちの生業です。彼らが生々しく映るのは、虚構の世界と実際に生きている現実とが常にせめぎ合っているからではないでしょうか。摩擦や混濁のないところからリアリティなど見えてきません。白や黒を感じたければ灰色を見ろということです。
薮から棒に堅苦しいことを言ってごめんなさい。連日の暑さで私の思考も混濁しているのかもしれません。しかし事実、私とて女装すればするほど、自分の中で不確かだった“男らしさ”の在り処がはっきりとしてきた気がしますし、伊勢丹と三越も合併した後の方が、それぞれの持ち味や魅力は如実になったように感じます。
俳優・女優に話を戻すと、私は彼らが演じる虚構に引き込まれるのも、そこから滲み出たり垣間見えたりする役者本人の性(さが)を味わうのも両方好きです。芝居に限らず、いわゆる『ゾーン』に入った時ほど、その人の本質は際立つわけで、私がアイドル歌手や羽生結弦に高ぶる理由はそこにあります。『ゾーン』は技術ではありません。もちろん技術を磨くために費やした時間によって形成された精神性があってこその『ゾーン』なのですが、そこで放たれる人間の本質は鍛錬によってどうにかなるものではない。しかしながら、超人クラスになると、『ゾーン突入時に放出される自分の本質』にすら、さらなる“見せ方”を瞬発的に(しかもたぶん無意識に)足すことができてしまうのです。例えば平昌五輪のフリーを滑り終わった直後、(怪我をしながらも乗り切ってくれた)右脚に向かって「ありがとう!」と叫ぶ羽生さんや、W杯1次リーグで辛勝した後に松田聖子張りの号泣をピッチ上で展開したネイマールさんなどを見ていると、つくづく俳優・女優というのは役や台詞が作るのではなく、単なる体質なのだと気付かされます。
