「職場結婚して、妻ともうまくやっていた。それが突然、『会社を辞めて、オウムに出家する』というのです。理由を聞くと『この本に書いてある』と私に手渡したのが、リチャード・バックの『かもめのジョナサン』の日本語に訳した本でした。『読めば僕の気持ちをわかってもらえる』と言い残して、家から出て行った。かもめのジョナサンの本は大嫌いです」
そう母親は、記者に心境を打ち明けた。
そして、村井元幹部は、暴漢に刺殺された。両親は東京に向かい、遺骨を抱えて、新幹線で大阪に帰ってきた。母親はこう言うのが精一杯だった。
「なぜ、こんなことになったのか」
そして、麻原元死刑囚ら、オウム真理教の一連の事件で裁判が進行するなか、公判では何度も、村井元幹部の名前が登場した。
まさに、麻原元死刑囚と実行犯をつなぐキーパーソンだった。
「村井元幹部が殺害されたことで、事件の全容解明ができなかったところは、正直、ありました」(前出・元捜査員)
オウム真理教の一連の裁判中、再度、母親に話を聞いた。母親は報道で、村井元幹部が教団でどういう位置づけ、役割だったのかよく理解していた。
「麻原から指示を受けて、うちのこがいろいろ、現場の人にやらせる立場だったのですね」
「警察の人から、麻原とのつなぎ役だったが何か、聞いてないかとも聞かれました。まったく知らないのでそう答えるしかなかった」
母親はこう言葉をつづけた。
「うちのこが、指示しなければ、地下鉄サリン事件も、松本の事件もなかったのかもしれないですね。うちの子が殺されて、麻原と実行犯をつなぐ、そこが闇になってしまったということですか。私にはどうしようもないことではあります。しかし、お亡くなりになられたり、被害にあわれた方には、あの子に代わって頭を下げるしかありません」
記者に深々と頭を下げ、玄関のドアをしめた。
麻原元死刑囚の死刑執行後、数日たったある日のことだった。村井元幹部の両親宅を訪れると、父親が出てきた。
「麻原元死刑囚の死刑執行のことで」と告げると、「申し訳ない、もう思い出したくない」と語るのみだった。(今西憲之)
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