重症化した人には衣類についたサリンを継続的に吸い続けて悪くなった人もいます。救急車で運ばれてくるとき、4~5人を詰め込んで連れてきたため、軽症の人や救急隊員も二次汚染した例がありました。他の医療機関で、患者さんの除染をせずにたくさん診察室に入れてしまって、医療スタッフが二次被害を受けたということもあったようです。サリンの診療にかかわった医師たちは諸外国の国々に呼ばれて講演に行っています。世界のテロ災害医療では、アメリカの9.11テロと日本の地下鉄サリン事件が、大きな教訓になっています。

■「サリン、VX液攻撃されても、平田被告らを弁護したワケ」 滝本太郎弁護士

《1994年5月9日、オウムからサリンの襲撃を受けた滝本太郎弁護士がこう事件を語る。》

 当時、私は甲府地裁にいて、山梨県旧上九一色村のオウム真理教の教団施設を巡って、教団の弁護士と法廷で争っていました。開廷中、裁判所の駐車場に止めてあった、私の車のボンネットの空気口からサリンを流されました。空気口は閉じてあったのですが、帰りの車を運転していたら、突然、視界が暗くなった。親がクモ膜下出血の病気を患いましたから、私にもクモ膜下出血の前兆が出たのかと思い、脳ドックをしてもらいに病院へ行ったのを覚えています。

 サリンという言葉は麻原説法で知ってはいましたが、まさか自分がやられるとは思ってもいなかった。その後、教団による一連の事件で次々に信者が逮捕され、何人かが「滝本さんの車にサリンをまいた」と自白して、事態を知ったのです。93年7月からはオウム信者の脱会カウンセリング活動を始め、95年に一連のオウム事件がはじけるまで、三十数人が脱会したことから、麻原に狙われたんでしょう。私はサリン1回、VX液2回、ボツリヌス菌1回の合計4回襲撃されました。VXは一滴かければゾウも死亡してしまうほどの猛毒。

 94年10月、オウムの信者がデパートで買ってきたポマードにVX液を混ぜて、私の車のドアのノブに2回塗ったんです。私はノブを触りましたが、手袋をしていたのと、VX液も未完成だったので何とか無事でした。この事件の後の94年11月4日、今度はボツリヌス菌で殺害されそうになりました。この日、オウムから脱走した両親の2歳にもならない子供を教団施設から取り戻す交渉をしていたのです。私が静岡県富士宮市の旅館で、教団の弁護士と林郁夫受刑者と交渉していると、「これは健康的な飲み物です」とジュースを出されました。薄汚れたガラスコップだなぁとは思ったんだけど、のどが渇いていたし、飲んじゃった。そのコップにボツリヌス菌が塗られていましたが、飲んでも何ともなかった。警察は周りを見張っていたんですけどね。17年逃亡し、特別手配されていたオウム元幹部の平田信が突然、警視庁丸の内署に出頭しました(2011年12月31日)。平田が「滝本さんに会いたい、呼んでくれ」と言っていると警視庁から連絡があり、会いに行きました。

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