川崎麻世が語る浅利慶太の思い出 「いい意味で刺激的で完璧主義者だった」 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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川崎麻世が語る浅利慶太の思い出 「いい意味で刺激的で完璧主義者だった」

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太田サトル週刊朝日
故浅利慶太さん (c)朝日新聞社

故浅利慶太さん (c)朝日新聞社

川崎麻世さん (c)朝日新聞社

川崎麻世さん (c)朝日新聞社

 元劇団四季代表で演出家の浅利慶太さんが7月13日、85歳で亡くなった。

「アイドルの世界で育ち、何もわかっていない僕をミュージカルの世界に導いてくださった方でした」

 ミュージカル「キャッツ」に出演した俳優の川崎麻世さんは、寂しそうに語る。

【川崎麻世さんの写真はこちら】

「いきなり厳しい世界でいい意味で刺激的でした。完璧主義者というか、手や顔の角度、目線の位置など、ここまで気を配らないとお客様に届かないんだと学びました。厳しい一方、『俺はそんなに給料をもらってないんだよ』と親しみを感じる苦労話も聞きました」

 キャッツや「ライオンキング」などのロングラン公演を定着させた浅利さん。成功の背景には、1960年代から小学6年生を無料招待したファミリーミュージカル「ニッセイ名作劇場」がある、と演劇評論家の小山内伸・専修大学教授さんは振り返る。

「ミュージカルに興味を持った子供たちが大きくなったときに、『キャッツ』や『ライオンキング』があった。浅利さんは、遠大な計画で観客を育てたのです」という。

「国内演劇公演のチケット販売の6割がミュージカルで、最大のジャンル。それを築いたのが劇団四季で、浅利さんはよい作品を選んでビジネスに乗せる才覚がありました。1973年の『ジーザス・クライスト・スーパースター』は、英国の作曲家アンドリュー・ロイド=ウェバーの作品にいち早く目をつけた。80年代には、同じくウェバーの『キャッツ』『オペラ座の怪人』をメガヒットさせ、90年代以降は『美女と野獣』『ライオンキング』『アラジン』などディズニー作品を手掛けました」(小山内さん)

 浅利さんは劇団四季代表の座を4年前に退き、演出事務所を設立していた。

「劇団四季の公演『ミュージカル李香蘭』や初期のフランス戯曲『オンディーヌ』の再演もしていました。演出家としてよりプロデューサーとしての評価の高さに歯がゆさも感じていたようでしたから、最後は自分が作り上げたものに戻る感覚もあったのではないでしょうか」(小山内さん)

 葬儀は近親者のみで行われたが、劇団四季の各劇場には祭壇が設置された。演出予定だった9月の舞台の公演終了後、お別れの会が開かれる予定という。(本誌・太田サトル)

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