──犯行当日の様子を聞かせてほしい。

「本部ビルに午前11時過ぎに着いたが、教団幹部たちの動向は知らなかったので、最初はウロウロしていた。報道陣は十数人ぐらいでした。するとビルの前に車が横付けされ、誰かが『A・Yだ』と叫んだ。え、と思って見たら、僕は入り口と反対方向にいた。追いかけようとしたときには、彼はもう足早にビルの中に入ってしまった。凶器はカバンの中に入れていたが、出すこともできなかった。出入り口はわかったが、怪しまれるので、ずっと立っているわけにはいかず、距離を保ちつつ、付近の様子を見ていた。次に上祐の車が来たが、すぐ報道陣に二重、三重に囲まれていた。A・Yの時よりは近寄れたが、群がる報道陣を引き離すわけにもいかず、物理的に(殺害は)不可能だった」

──村井幹部の時はなぜ、実行できたのか。

「夜になると、教団側が生放送でインタビューを受けるのか、テレビ局の中継車が続々と東京総本部前の路上に横付けされた。報道陣ややじ馬ら数百人で現場はごった返していた。そのため、村井が乗った車は入り口にたどりつけず、途中で車を降りて歩き出したようだった。テレビのスポットライトが四方八方から村井の姿を照らし出し、その光がこちらへどんどん近づいてきたので、位置がわかり、近寄れた。村井の顔が見えるか、見えないか、という状況で視線は合わなかったが、洋服を見て、すぐに村井本人だとわかった」

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