──衝撃的な殺害の瞬間は多くのテレビカメラがとらえていた。中でもTBSのカメラは犯行前から執拗にあなたを撮影していて、事前に計画を知っていたのでは、という疑惑を呼んだ。

「その疑惑はありません。途中からカメラが僕を撮っているのはわかっていた。僕は報道関係者ではないから、漂わせている空気も違う。それなのに昼間から現場に10時間近くいたから、相当、怪しく見えたのでしょう。ディレクターらしい人がこちらをチラチラ見ながら、カメラマンに撮るように指示していた。カメラが僕のことをずっとマークしているなと思っていましたが、そんなに気にはしませんでした」

──当時、オウム幹部には警官が張り付いていたはずだが。

「刺した後に、私服警官が人をかき分けてやってきて、『誰がやったんだ』と叫んだので、凶器を捨てて『僕です』と名乗り出ました。すると、『覆面パトに乗れ』と言われた。そのまま、赤坂署に連行された」

──殺害に対し、迷いはなかったのか。

「ありましたよ。僕には両親など家族がいましたから、事件によって多大な迷惑をかけることになる。僕から家族の絆を一方的に断ち切るような形になってしまった」

──村井幹部に対し、いまはどう思うか。

「収監された旭川の刑務所の中で、オウムや村井について、いろんなことを考えました。その思いをここで今、整理してお話しすることは難しいですね。刑務所の中にいて、僕は家族の絆というものが、本当にありがたいものだな、と再確認しました。事件を起こし、迷惑をかけた僕を家族は見捨てず、ずっと支えてくれた。オウムはあのような未曽有(みぞう)のテロを起こし、被害者らの命を突然、何の理由もなく、奪った。彼らはそんな家族の大事な絆を理不尽に断ち切ってしまったのです。それが許せなかった、という気持ちは今でも変わりません」

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