──しかし、結果的に村井幹部の死で、化学兵器、武器などの密輸ルートなどが解明されずに終わった。

「オウムはこれまで教団にとって都合が悪くなった人間を、自分たちで『ポア』してきた。なぜ、村井の時だけ外部の僕にわざわざ頼むのか。教団内部で殺害し、どこか山奥に遺体を隠し、行方不明と言えば、当面は発覚しなかったでしょう。公衆の面前で殺したら疑われるだけ。口封じ説は理屈に合わない」

──当時、あなたに借金があり、それを帳消しにするために、暴力団にヒットマンとして雇われたという見方もありました。

「僕は事件の2年前、経営していたイベント会社を倒産させ、借金は1千万円以上ありました。倒産後、半年ぐらいは、取引先、銀行などから金を返せと催促の電話がありましたが、事件当時はほとんどなく、追われるような状況じゃなかった。警察は僕の収支を徹底的に洗いましたが、代償に借金を払ってもらった形跡も、大金をもらった形跡もなかったはずです」

──当時、オウムとの接点は何もなかったのか。

「取り調べの時、オウム幹部の写真をたくさん見せられた。テレビで見た人は知っていたが、それ以外は全然わからなかった。『誰をどう知っている』ということは証明できるが、『接点がないことを証明しろ』と言われるのが、一番難しい。当時は僕が韓国籍なので、オウムと闇で接点があったとも言われましたが、『ありません』と言うしかなかった。A・Y、上祐、村井のいずれも当日、初めて会いました」

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