「ぜんぜんないなぁ」養老孟司が自分の“最期”“終活”を明かす (3/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

「ぜんぜんないなぁ」養老孟司が自分の“最期”“終活”を明かす

このエントリーをはてなブックマークに追加
養老孟司(解剖学者)週刊朝日#シニア
養老孟司(ようろう・たけし)さん/1937年、神奈川県生まれ。解剖学者。東京大学名誉教授。2015年、鎌倉市の建長寺に隈研吾氏設計の「虫塚」を建立し、毎年6月4日の虫の日に「虫供養」の法要を行っている。近著に『半分生きて、半分死んでいる』『遺言。』など。(撮影/写真部・大野洋介)

養老孟司(ようろう・たけし)さん/1937年、神奈川県生まれ。解剖学者。東京大学名誉教授。2015年、鎌倉市の建長寺に隈研吾氏設計の「虫塚」を建立し、毎年6月4日の虫の日に「虫供養」の法要を行っている。近著に『半分生きて、半分死んでいる』『遺言。』など。(撮影/写真部・大野洋介)

 魚や鳥も好きだけど、虫はもうちょっと無機的なところがいいですね。しかも、種類がやたら多い。ケタ違いです。そこが魅力ですね。

 そんなに好きなら、いっそ自分が虫になったらって冷やかされるけど、それじゃダメなんだ。虫になったら虫取りができないからね。

 虫取りと解剖学とどんな関係があるのかも、よく聞かれます。面倒くさいから、たいていは「いや、虫は趣味です」と答えているけど、実は大いに関係があるというか、ふたつは根っこの部分で一緒なんですよ。

 どちらも自然にあるものを観察して、分類して、概念化する。同じでしょ。学問の分野が対象ごとにバラバラに分かれているから、関係なさそうに見えてしまうけど、本質は同じなのです。

 蟹は甲羅に似せて穴を掘るって言いますけど、人間も自分ができることしかやらない。その人に与えられた運命や、持っている器の形というものがある。やるべきことはひとりでに決まってくるはずです。ただ、本気でやらないといけない。適当にやっていてそこそこできたとしても、自分の甲羅に合った穴は見つかりません。

 僕にとっての甲羅は虫取りなのかな、と思います。

――現在80歳。人間の体を研究し、たくさんの死んだ状態の人間と向き合ってきた解剖学者は、死についてどう考えているのか。

 このところ「終活」っていう言葉が流行りだけど、生きていること自体が一種の終活だからね。死という自分ではどうしようもないことに対して、自分でどうにかしようと思うのは不健康です。生まれたときだって、気が付いたら生まれてたわけでしょ。予定も予想もしてなかった。死だってそうですよ。きっと気が付いたら死んでいる。

 以前はあれこれ考えていたけど、最近はもう考えない。考えても無駄だというのが結論です。

 こういう最期を迎えられたらいいなという希望も、ぜんぜんないなあ。そのときはそのときです。安楽死を認めてほしいっていう意見もあるけど、僕はそれは無理な話だと思う。自分の意思というものは、そんなに頼りになるんだろうか。

 現代人は自分の意識で自分をすべてコントロールしたがるけど、それはおこがましい話です。意識というのは、しょせん目が覚めているあいだだけのもので、寝ている3分の1の言い分は無視していいのか。そっちの権利はどうなる。

 そもそも自分の意識なんて、どんどん変わっていきます。死の間際なんて状況は、自分を大きく変えるに決まってるから、そのときの自分に従うしかない。

 今までの人生? もちろん幸福でしたよ。不幸だと思ったら損しちゃう。これからも、もっと幸福になる気満々ですよ。そのためには好きなことをしなきゃね。虫には、これからもお世話になりますよ。

(聞き手/石原壮一郎)

※週刊朝日2018年6月8日号


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事

あわせて読みたい あわせて読みたい