監督はどうしても外せない映画一本に関するもの以外はスケジュールを調整し、すぐに撮影に取りかかった。スピルバーグ作品としては最も短い時間で完成にこぎ着けたと言い、1月に米国での本格公開が始まった。

 映画には、「言論の自由が崖っぷちに立たされている」という監督の危機感が強く反映されている。

「報道機関は自分たちは『フェイクニュース』ではないと弁解を迫られている。真実を伝えていることを分かってもらうために苦労している。歴史上、市民と報道機関の間にこれだけの煙幕が張られたことはない」。監督はそう話す。

 トランプ大統領は米メディアから毎日のように発言の間違いを指摘されている。それでも自説を曲げずに、批判する報道機関をやりこめようとする。大統領の発言を頭から信じ、喝采を送る人たちも米国には多い。監督は、意見と事実の境目があいまいになっている現状に警鐘を鳴らす。

「事実は真実の基礎。事実がなければ真実にたどりつくことはできない。報道機関は真実のために戦ってきた」

 監督は1946年生まれだが、事件について71年当時の記憶は実はあまりないのだ、という。

「当時はキャリアを歩み始めたばかりで、映画中毒、テレビ中毒だった。新聞も読まなかったし、ニュースも見なかった」と振り返る。大学時代の知り合いがベトナム戦争で亡くなり、74年にニクソン大統領を辞任に追い込むウォーターゲート事件が起き、社会の動きに関心を払うようになったのだという。

 映画の核心は、入手した文書を報じるか報じないかに尽きるが、ハンクスとストリープという二人の大物俳優が初共演したことも映画の魅力を高めている。

 ハンクスも報道の自由に対して強い思いを持つ。

 二人に対するインタビューでは、「安全保障と報道の自由はどこで線引きすべきか」との質問が出ると、陽気に話していたハンクスの語気が一変した。「報道の自由に制限があってはならない」。そう2度繰り返すとさらに続けた。

「報道の自由は米国がよってたつものだ。報道の自由がなければ、米国が米国として成り立ってきた核心的な価値観の一つが失われることになる。記事掲載が(権力者に)妨げられるようなことになれば、それはもう米国ではない。権力者が報道機関を閉鎖できるような国には住みたくない」

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