プロデューサーの小林佐智子氏が言う。「再編集に1年かかったのは、800時間を超える映像を全部見直したから。もう見るだけでも大変なんです」

 結果、裁判闘争の記録映画から「国を相手に闘う“普通の人”たちのドラマ」の色合いが増した。原告一人ひとりへのインタビューでは、随所で笑いを誘う場面がある。

 追加された映像は、原告たちが島根県の隠岐の島へと向かう場面。高度成長期に、石綿工場に集団就職した後に帰郷。石綿が「静かな時限爆弾」と恐れられるのは粉じんを吸引して10年以上の潜伏後、中皮腫や石綿肺を発症。呼吸をすることすら苦しい症状に苦しみながら亡くなることだ。

 原告と支援者たちが工場で働いていた人たちを探し出し訴訟への参加を訴える。さらに韓国へも。石綿の採掘地を訪れ、同じ被害者たちと交流する。裁判の本筋からそれるエピソードから、「なぜ泉南に石綿工場が集中したのか」歴史的な経緯が浮上する流れはよく練られている。

「私は、こういう問題があるからやろうという入り方をしたことは一度もないんです。まず出会いありき。撮りながら考えるんです」

 と原監督。泉南の石綿工場は小さなところが多く、働いている人たちに在日の人たちが多いと気づいた。「ただ、問題を告発するのが狙いではない。どの映画もそうですが、描きたいのは一人ひとりの人間の生きてきた営み、それをエンターテインメントとして見せていく。それを追っていくと在日の問題、高度成長期の棄民の実情が見えてきたということです」

 いつも冷静沈着で控えめな印象の原告団の男性が「おとなしすぎるんじゃないか」と原監督から問われ、自身の祖父が天皇を侮辱して逮捕された過去を打ち明ける場面がある。男性が「だから怒りのままに闘うことはしたくない」と語る。印象が一変するとともに、終盤その彼が感情をあらわにする場面がある。

 あるいは、がっしりとした体格の高齢男性に原監督が、子供の頃の記憶を問うていく。「この質問は必要なのか」。在日を問われた男性が眉をひそめ、自身は差別を受けたことがないと強く否定する。「それは、あなたがケンカがめちゃくちゃ強かったからやで」と同席した男性が口を挟んで場を和らげる。

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