「私もずっこけました。なんで、こんなにコロッとだまされてしまうのか」

 小林プロデューサーが補足する。「彼女はその前に塩崎さんに映画の67分版を見てくださいと手紙を送っていて、塩崎大臣が出口のところで立ち止まり、彼女に『見ましたよ』と名刺を渡す。映画では手紙の部分が欠けているので唐突に思われかねないんですが」

 傍らで原監督が苦笑いする。「客観的に見たら謝罪はセレモニーに過ぎないし、何かが変わったわけでもない。でも、言葉ひとつで許してしまう。いつも『普通の人』という言葉に万感の思いを込めてしゃべっていますが、普通の人がもつ純粋さや美点とともに、『こんなことでいいのか!?』という両面が、この映画にはよく出ている」

 その彼女は、泉南での先行上映の宣伝の先頭に立っていたという。

「ひとりの人間の中には“怒り“”寛容”が同居しているということなんでしょうね。一枚も二枚もめくっていくと、普通の人たちは奥崎さんよりもエキセントリックだといえる」

 もうワンシーン。真骨頂といえるのは塩崎大臣が原告宅に弔問に訪れる場面だ。車を降り、喪服姿の女性秘書を従え、ご遺体が寝かされた部屋に上がる。

「塩崎大臣からは一切何も言われませんでしたね。撮られることは覚悟の上でしょうから。狭い部屋なので、私がカメラを構えていたのはベストポジションじゃなかった。本当なら正面から撮りたいんです」

 原監督には、カメラは相手の正面に立たねばならないというこだわりがある。

「必ず相手の視線の邪魔になる場所から撮るというのが、私の考えなんです。カメラを意識させることで反応を引き出すんです」

 それがかなわなかったものの、弔問の一部始終を側面から捉えて緊迫感を含んだ映像になっている。

「そうなんですよ。まるでカメラが目に入らないかのように塩崎さんは表情を変えずにいる。それ自体がカメラを意識した上での所作ではあったと思いますね」

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