「小春日和」は、知らぬ間に人を傷つけてしまった主人公の懺悔と後悔の歌だ。晩秋から初冬の時期にふと訪れる暖かな晴天の日のように、ぬくもりを探す主人公。“冬の近さ”という歌詞は、恋愛の終末をも意味しているようだ。探しているのは“嘘”のぬくもり。この歌詞からいくつかの中島作品が思い浮かぶ。

 アルバム『寒水魚』(1982年)で“嘘でもいいから”と、愛を待ちわびる人を描いた「捨てるほどの愛でいいから」、男は女よりも子どもよりも“嘘”がうまい、女はいつも“嘘が好き”と歌われる「歌姫」があった。『時代―Time goes around―』(93年)には、“上手な嘘をついて”と歌われる「孤独の肖像 1st.」があった。

 叶わぬ恋と知りつつ、思いを寄せる女心の哀れを描いたかと思えば、女心の気まぐれやしたたかさも。本作での「移動性低気圧」の歌詞には、女の心は“予測のつかない低気圧”とある。一方、“男の心は高気圧”。男の夢の中には“粗忽な貘”が住んでいて、思い出の風を恋しては回る、と歌う。

「月の夜に」は、叶わぬ恋への未練の歌。月明かりが象徴する恋人への追憶。心情をそのままに映し出した情景描写が印象深い。続く「ねこちぐら」は、寝床に帰ってこなくなったを描き、戻らない恋人への未練を想起させる。

「マンハッタン ナイト ライン」を聴きながら思い浮かべたのはニューヨークの街。五番街にそびえ立つ黄金のトランプ・タワーだ。変わり者、浮気者が争って勝ち抜いたら雲の上。“ひと晩で身の上も変わり果てる”という歌詞からも、トランプ米大統領そのままではないか。“相聞歌”つまりはラヴ・ソングをテーマとした本作からすれば、世相を反映した異色の曲といえそうだが、『やすらぎの郷』の背景からくみとれた現代社会批判と一脈通じるものがある。

 ラストの3曲は本作のハイライトだ。平原綾香への提供曲のセルフ・カヴァーの「アリア ―Air―」。豊かな声域を駆使し、ドラマチックに歌い上げていた平原とは趣が異なる。声域の違いから歌い出しも違い、最初は淡々とした歌いぶりだが、サビからは一挙に中島みゆき節へ。“1人では歌は歌えない”“受けとめられて産まれる”と、彼女の歌への取り組み、その意志を明らかにする。

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