ぜんぜんなかったです。生きている実感というものを、政次から得る瞬間があって、俳優をやっていてよかったと思いました。

──政次は喜怒哀楽をはっきり表しません。政次の表情については、能面を参考にしたそうですね。

 たとえば同じ一つの能面であっても、見る角度やその人のそのときの気持ちによって、怒っているようにも悲しんでいるようにも見えると思うんです。実際の人間って、そんなにいろんな表情をしているわけではないのかなと。人の心なんてわからないから、見る人はそのわからない部分を埋めようとして、相手の表情に自分の気持ちを反映させたり想像したりする。僕は突飛なことをするのではなく、あくまで標準なことをやって、そこから見る人に感じ取ってもらえればいいと思っていました。

──政次を演じたことで、何か変化はありましたか?

 受け身でいることって実は最大の“動”かもしれない、そう思うようになりました。自分で自分をコントロールしようとするのではなく、誰かにコントロールされることによって、逆に自分の本質が浮き彫りになるんじゃないかと。抗えない波に対して、不平不満を言って卑屈になるのではなく、その流れにのっていくことこそ、能動ではないかと。政次からは、そんなことを感じました。

──高橋さん自身は、不満を感じたり、イライラしたり、怒ったりすることは?

 ものごとにもよりますが、あまりないんです。昔はもっと、怒ったりイライラしたりしていたんですけれど。僕はそういう感情を自分に向けてしまいがちで、自己嫌悪したり自分を傷つけてしまう。これはマズイと思って、「とにかく笑っていよう」「ふにゃふにゃでいよう」と。そう思うようにしてから、だいぶ変わりました。

──それはいつ頃から?

 ここ5、6年です。自分以外の人って“外界”なわけですが、若い頃……、20代の前半くらいまでは、他人も自分も同じような感覚があったんです。「なんでうまくいかないんだろう?」って思っていました。30歳手前くらいから、ようやく人を他者として認識するようになりました。「みんな違うんだ」と。そう思うようになって、だいぶラクになりました。人を100%理解することなんてできない。そんな諦観みたいなものが、自分をすごく柔軟にしてくれた気がします。と同時に、相手に対して感じていることは、自分のある一面を映しだしているのかもしれないと考えたり。自分の気持ちの変遷を振り返ると、不思議な気がします。

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