AERA dot.

デヴィッド・ボウイ、シド・バレット、ルーリードを特写 写真家ミック・ロック単独インタビュー

このエントリーをはてなブックマークに追加
週刊朝日

ミック・ロック。クイーンやラモーンズ、デボラ・ハリーといったロックスターの写真でも知られる(撮影/写真部・長谷川唯)

ミック・ロック。クイーンやラモーンズ、デボラ・ハリーといったロックスターの写真でも知られる(撮影/写真部・長谷川唯)

ミックが写し、ボウイのアルバム『スペイス・オディティ』のジャケットに使われたポートレート(C)Mick Rock 1972, 2017

ミックが写し、ボウイのアルバム『スペイス・オディティ』のジャケットに使われたポートレート(C)Mick Rock 1972, 2017

ミックが写したデヴィッド・ボウイ。額の“第三の目”が印象的 (C)Mick Rock 1973, 2017

ミックが写したデヴィッド・ボウイ。額の“第三の目”が印象的 (C)Mick Rock 1973, 2017

ミックが1973年に撮影したボウイ (C)Mick Rock 1973, 2017

ミックが1973年に撮影したボウイ (C)Mick Rock 1973, 2017

 数々の大物ミュージシャンを撮影してきた英国の写真家ミック・ロック。とりわけデヴィッド・ボウイとの仕事で世界的に知られる。来日したミックにディープな撮影秘話を聞いた。

【ミックが撮影したデビッド・ボウイの写真はこちら】

――話題のデヴィッド・ボウイ大回顧展「David Bowie is」の感想は?

 ロンドンでのオープニングに招かれた。私の写真も何枚も使われていたけど、とてもカラフルなアート・ショーだよ。コスチュームや手書きの歌詞メモなどが一堂に会しているのに圧倒された。デヴィッドは昔から何でも残しておくタイプだった。彼は「現在」を生きるアーティストだったけど、常に「未来」を見据えていたんだ。当時のものが将来、重要な歴史的アーカイブになることに気付いていた。自分のライブ音源や映像もすべて記録していた。私たちはこれから
50年ぐらい、彼の未発表音源を楽しむことが出来るだろう。

――あなたがロック・フォトグラファーになった経緯を聞かせてください。

 ケンブリッジ大学で言語学と文学を学んでいるとき、ロック文化に触れるようになった。ピンク・フロイドに加入する前のデヴィッド・ギルモアの父親が講師だったし、シド・バレットとは家が近所の友達だった。それで自然に写真を撮るようになったんだ。

――シドがピンク・フロイド脱退後に発表した『帽子が笑う…不気味に』(1970年)のジャケット写真を撮っていますが、撮影時の彼は精神的に安定していましたか。

 3度目のフォト・セッションでようやく撮れたんだ。最初の2回は、シドは昼寝していて撮影が出来なかった。でも彼は落ち着いていたし、普通に話すことが出来たよ。裏ジャケットに写っているのは当時のシドのガールフレンドのイギーなんだ。「服を脱いでくれない?」と頼んで、ヌードになってもらった。あの写真を撮った69年はまだヒッピー時代が続いていて、イギーは全裸になることに躊躇がなかったよ。

――70年代初頭にデヴィッドと出会った経緯は?

 当時、いろんな雑誌に写真や記事を寄稿していた。ある雑誌の編集部でいつもレコードを聴いていたんだけど、その中にデヴィッドの『ハンキー・ドリー』(71年)があった。「このアーティストにインタビューしたい!」と編集部に主張して、バーミンガムまで会いに行った(72年3月)。彼はまだジギー・スターダストのキャラクターを確立させていなかったけど、コスチュームやブーツは華やかで、まさにサムシング・エルスだった。楽屋で写真を撮って、日を改めてインタビューをすることになったんだ。

――ジギー・スターダスト時代には、公式フォトグラファーとなりましたね。

 ただ写真を撮るだけでなく、インタビューやふだんの会話などを通じて、より深くお互いのことを知ることが出来たからね。5回ぐらいインタビューしたし、音楽や哲学、あらゆることについて話し合ったよ。当時の私は若かったし、サイケ・カルチャーで少しばかり頭がイカれていたのが気に入られたのかもしれない(笑)。シドのジャケ写を撮っていたことも幸いした。デヴィッドはシドがいた頃のピンク・フロイドのファンだったんだ。それで会話が弾んで、ステージやオフショットなど、あらゆる場面で撮らせてくれた。


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

続きを読む


このエントリーをはてなブックマークに追加