ジャーナリストの田原総一朗氏は、プーチン大統領の態度“急変”について指摘する。

*  *  *

 12月15日の午後、安倍晋三首相の地元である山口県長門市の温泉施設で、ロシアのプーチン大統領との会談が行われることになっていたのだが、プーチン大統領の到着が予定より3時間近く遅れた。この日の首脳会談は2人だけで90分以上という長さに及んだ。

 プーチン大統領は日本訪問前、モスクワで読売新聞・日本テレビのインタビューに応じたが、その内容はきわめて厳しかった。

 まず、「ロシアには領土問題はまったくないと思っている。ロシアとの間に領土問題があると考えているのは日本だけだ」と言い切った。さらに日本に対し、北方領土での共同経済活動を行うことが、平和条約締結に向けた条件整備だと強調したが、それは「ロシアの主権のもとで」だと念を押した。

 それに対し日本側が、1956年の日ソ共同宣言で、歯舞と色丹の2島は日本に引き渡すと明記されていて、日ソ双方で批准しているはずだと突っ込むと、プーチン大統領は「あなた方は、いつも共同宣言を引き合いに出すが、日本はその履行を拒否した。もしも日本政府がこの宣言に戻るというのなら、我々は話し合う。もしもあなた方が注意深く共同宣言をご覧になれば、9項で(2島)引き渡しについて書かれているが、どちらの主権で、どんな条件で引き渡されるかは明記されていないことがわかるだろう」と反論した。

 また、プーチン大統領は、繰り返し「ロシアと日本の完全な関係正常化を求めている」と強調し、日本側がその意味を問うと、「日本は我々に経済制裁を科した。なぜウクライナやシリアの問題を日本はロ日関係に結びつけるのか」と、一言一言、相手の反応を確かめるように言った。「制裁を受けたまま、どうやって経済関係を新しい、より高いレベルに発展させられるのか」とも、逆に問うた。そして、「ロシアと日本がお互いに信頼できる雰囲気づくりが必要なのだ」とも言った。

 
 安倍首相の側近の一人が、今回の会談で、おそらくプーチン大統領は安倍首相に、日本がロシアに対する経済制裁からはずれることを強く求めるのではないか、と話した。それこそが「信頼できる雰囲気」をつくることになる、というのである。問題は、それに対して安倍首相がどのように対応できるかということだ。

 それにしても、5月のソチでの首脳会談でも、9月のウラジオストクでの首脳会談でも、プーチン大統領は、ロシアに対する経済制裁への不満などまったく口にしなかった。おそらく11月のペルーでの首脳会談で初めて言いだしたのではないか。

 実は、9月のウラジオストクでの会談の後、安倍首相は今回のプーチン大統領との会談に強い自信を示していたようだ。日本側が示す8項目の経済協力プランに、プーチン大統領は歯舞・色丹の2島返還で応じてくると読んでいたようだ。それが11月のペルー会談で暗転した。プーチン大統領が、安倍首相を落胆させるほど厳しくなったのだ。

 急変の理由は何だったのか。甘く見せて、相手から出させるものをできるだけ出させて締める。それが「プーチン流」だという見方もある。米国のトランプ氏が従来の大統領と違って、プーチンを高く評価し、孤立状態でなくなったので日本に厳しくなったのだという説がある。ともかく日本にとっては厳しい事態となったわけだ。

週刊朝日 2016年12月30日号

著者プロフィールを見る
田原総一朗

田原総一朗

田原総一朗(たはら・そういちろう)/1934年、滋賀県生まれ。60年、早稲田大学卒業後、岩波映画製作所に入社。64年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。77年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。早稲田大学特命教授を歴任する(2017年3月まで)。 現在、「大隈塾」塾頭を務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数

田原総一朗の記事一覧はこちら