松本伊代まつもと・いよ/1965年、東京都生まれ。81年にTBS系「たのきん全力投球!」の田原俊彦の妹役でデビュー。「センチメンタル・ジャーニー」でブレークする
松本伊代
まつもと・いよ/1965年、東京都生まれ。81年にTBS系「たのきん全力投球!」の田原俊彦の妹役でデビュー。「センチメンタル・ジャーニー」でブレークする

 1978年のキャンディーズ解散、80年の山口百恵の引退で、心にポッカリと穴が開いた人が多かった。しかし、ファンの傷心は、すぐ癒やされていく。日本中が熱く燃えていた80年代、それは史上最強のアイドル時代でもあった。80年代ブームが再燃するなか、松本伊代さんに当時の話を聞いた。

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 キャンディーズさんから始まり、石野真子さん、大場久美子さん、ピンクレディーさん……。可愛い衣装を着て、歌って、踊ってというアイドルに憧れていました。

 15歳のときにいくつかオーディションを受けてみました。ホリプロも受けたけど落ちました。歌審査で落ちたのかな(笑)。河合奈保子さんの「大きな森の小さなお家」を歌ったんですけどね。

 その後、原宿の歩行者天国でスカウトされました。中学3年の1月か2月のことです。半信半疑で母と事務所に行ったら、2日後くらいに「トシちゃん(田原俊彦)の妹役のオーディションがあるから行ってきて」と言われて。それで受かって、本当に芸能界に入ることになったんです。進学する高校も決まっていたんですけど、そこは芸能活動は駄目だということで、ギリギリで堀越高校に入ることに決まりました。

 オーディションで受かった何日後かの記者会見で、初めて田原俊彦さんに会いました。私、たのきんトリオが大好きだったから夢のようで。いや、なんか、もう、ドキドキでしたね。

 その後、学校に行ったら、靴に画鋲入っていました。ほんとにあったんです(笑)。たのきんファンからは恨まれたんですねえ。事務所に送られて来るファンレターも、ほとんど剃刀入り。雑誌の表紙の私の顔に待ち針が刺されていたりとか、私の写真がビリビリに破かれていたりとか(笑)。そんなのがしょっちゅう送られてきました。事務所の人からは「絶対に自分では開けるな」と言われて、開けたのを見せてもらったんです。

 歌のデビューも決まりました。「センチメンタル・ジャーニー」の衣装は、赤で蝶ネクタイなんですけど、これは自分でデザインしました。こういうのを着て歌いたいっていう念願がかなって嬉しかったです。(バックコーラスの)キャプテンとは、すごく仲がよくって。私、82年組といわれてますけど、実際のデビューは81年の10月なんで、同期のみんなから最初のうちは「伊代さん」とさん付けで呼ばれていた感じで……。そういう同期の人たちといるより、キャプテンと一緒の時間のほうが長かったですね。今でも付き合いが続いているんですよ。

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