似鳥 ええ。倒産した店の商品だとかいろいろありますから、だいたい5分の1とか10分の1です。ただ、ずいぶん危ない目にも遭って、それこそスリルとサスペンス、ハラハラドキドキの毎日でした。こっちも生活がかかっているから進まざるを得ないんですよ。大きい商談が成立すると、相棒と温泉で芸者さんを上げてどんちゃん騒ぎをしましたね。やっぱり綱渡りみたいな毎日で緊張感とストレスが半端じゃなかったですから、たまにはパァーッと騒がなきゃ滅入ってしようがないんです。最終的には、台湾や韓国へと販路を広げていくわけですが、トラブル続きで、本には書けない話がたくさんあります。

伊東 会長の本には実際に経験した時の具体例がちりばめられているので説得力があります。「落ちこぼれでも成功できる」なんて話は読者にも自信と勇気を与えます。その落ちこぼれ方も半端じゃない。

似鳥 子供の頃から遊んでばかりで勉強した記憶がない(笑)。高校なんて夜学すら落ちて、闇米屋をやっていた母が最後に落ちた高校の校長先生に米俵を1俵持っていって、何とか補欠合格で入れてもらったんですから。だから、大学も4年制は全滅だった。高校時代も勉強は全く分からず、試験のたびにカンニングをしてギリギリの成績で進級したんですからそりゃ受かりっこないんです。うちの親父からも「おまえは頭が悪いんだから、人のやらないことをやるか、人の3倍働くか、どっちか自分で決めろ」と言われたぐらいでね。じゃ、人のやらないことをやるしかないな、と。

●劣等感をバネに短所を克服する

伊東 24歳の時に20歳の奥様と結婚なさったそうですが、事業をこれだけ大きくできたのも奥様の支えが大きかったからですか。

似鳥 うちの家内と結婚していなかったら会社は潰れていたかもしれません。いや、もう食べていけなかったでしょうね。

伊東 どこが一番の支えになったのでしょうか。

似鳥 僕は対人恐怖症で接客が全くできなかったんです。だけど、家内は気楽に「いらっしゃいませ」とお客さんに話しかけるんですよ。家内が店に出るようになったおかげで売り上げも倍の80万円になって何とか赤字続きだった店も立ち直ることができたんです。以来、接客は家内に任せて僕は商品の仕入れと配達に専念することができました。

伊東 それぞれの長所を生かしたわけですね。

次のページ