これに先立つ4日前の2月19日朝、自民党幹事長の中曽根康弘は内密に米政府の代理人に会い、関与政治家の名前の公表によって「日米安保条約の枠組みの破壊につながるかもしれない政治状況」に陥る恐れがあると指摘した。ホワイトハウスに保管されていた米大使館の公電によれば、中曽根は「私は合衆国政府がこの問題をもみ消すことを希望する」とのメッセージを託した。

 表では、政府も自民党も、中曽根自身も、「徹底的に究明する覚悟だ」「米側に全資料の提供を重ねて要請していく」と公言していた。ところが、裏では逆のメッセージを米政府に届けたのだ。これについて駐日大使のホジソンは種々の考察を加えた上で、「さらなる有害情報の公表」は避けるべきだと本国の国務省に進言した。

 最終的に、米政府は日本の検察に資料を提供した。提供される情報は、訴訟では用いることができるものの、それ以外の場面では秘密とされる、というのが両国政府のとりきめの骨子となった。その情報を端緒として、日本の検察はロッキードの代理店商社の丸紅の首脳から自白を得て、田中の逮捕・起訴にこぎつけた。

 ロッキード社の対日工作は、米政府の諜報機関CIAも報告を受け、了解していた。また、CIA自身も日本の政治家にカネを流していた。こうした疑惑も76年4月初旬に報じられ、日本政府は当初、米政府に真偽を問い合わせた。米政府は否定も肯定もしない態度を貫き、駐日大使のホジソンが三木に直接会って、「CIAは避けるべき問題です」と忠告した。

 私はこの夏、これら7年ごしの取材と分析の成果を書籍『秘密解除 ロッキード事件──田中角栄はなぜアメリカに嫌われたのか』(岩波書店)にまとめた。

 たしかに、「田中は米政府の虎の尾を踏んだ」説には、それを裏付けるかのような、いくつかの状況証拠があった。

 しかし、原稿を書いていて、そんな「虎の尾」説の真偽より重要だと私が思い当たった事実がある。

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