次に首相となった三木武夫と幹事長の中曽根康弘 (c)朝日新聞社
次に首相となった三木武夫と幹事長の中曽根康弘 (c)朝日新聞社

 ロッキード事件から40年が経ち、米国では事件に関する「秘密文書」が指定解除されている。それらの文書から朝日新聞編集委員の奥山俊宏氏は、重要な事実に思い当たったという。

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 1976年7月27日、田中が東京地検に逮捕されると、米国の在日大使館は国務省に報告した。

「日本の一般の人々の間には、米政府と日本政府がスキャンダルを隠蔽しようと談合しているという疑念が根強くありましたが、田中逮捕はこれを払拭することになるでしょう」

 9月2日午後、ホワイトハウスで、駐日大使のホジソンは、田中逮捕を含むそれまでの経緯を振り返って、大統領補佐官のスコウクロフトに感想を漏らした。

「本当の奇跡です。米国政府の非協力への非難は、大きな魚が明るみに出たことで、筋道が通らなくなりました。ロッキード以前よりも米日関係はむしろ強くなっています。つま先をぶつけることなく、それを成し遂げています。これは三木のおかげです」

 ホジソンは、田中を逮捕した日本政府のトップ、三木武夫を称賛した。

 ロッキード事件への対応にあたって米政府が最も重視したのは米国の国益だった。自民党が下野するようなことになれば、日米安保条約が破棄され、米国の国益にマイナスになるのではないか、と恐れた。それを防ぐことが至上命題だった。

 76年2月23日、日本への資料提供について、米司法省のソーンバーグ刑事局長は司法長官への報告の中で「情報開示やそれに続く訴追によって友好国政府に生じるかもしれない害悪」などの検討が必要だと指摘した。

「たとえば、国務省は、関与者が特定され、公開されれば、日本政府は倒れ、その結果、より非友好的な政府になりそうだと心配している」

 ソーンバーグによれば、2月23日時点で、国務省は、三木政権に協力することが米国の国益に資するかどうか見解を固めていなかった。このため、その判断が固まるまでの間は、日本への資料提供について最終決定は見送る方針とした。

 つまり、犯罪捜査の任にある司法省でさえ、捜査の都合よりも、「より広い国益」を優先する必要がある、という立場だったのだ。

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