作詞家・売野雅勇インタビュー「80年代のアイドルブームは詞がキャッチコピーになって生まれた」 (2/3) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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作詞家・売野雅勇インタビュー「80年代のアイドルブームは詞がキャッチコピーになって生まれた」

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作詞家売野雅勇うりの・まさお/1951年生まれ。広告会社、コピーライターなどを経て、81年にシャネルズの「星くずのダンス・ホール」で作詞家デビュー。82年に中森明菜の「少女A」が大ヒットし、以降は作曲家・芹澤廣明氏とのコンビでチェッカーズの一連のヒット曲を生み出した(撮影/写真部・長谷川唯)

作詞家売野雅勇
うりの・まさお/1951年生まれ。広告会社、コピーライターなどを経て、81年にシャネルズの「星くずのダンス・ホール」で作詞家デビュー。82年に中森明菜の「少女A」が大ヒットし、以降は作曲家・芹澤廣明氏とのコンビでチェッカーズの一連のヒット曲を生み出した(撮影/写真部・長谷川唯)

 こうして詞が完成し、これに芹澤廣明氏の曲がつきました。これが現在の「少女A」です。最初はLP収録用の楽曲でしたが、メロディのアクの強さと、タイトルのインパクトで、気がついてみたら、中森明菜の第2弾シングル曲になっていたわけです。

 しかし中森明菜は「少女A」を歌いたがらなかったといいます。このAは明菜のイニシャルでしょう!?と。それもあって内容が彼女にはリアルすぎたのです、不良っぽい主人公ということを含めて。僕は彼女についていっさい知らなかったのですが、期せずして彼女の私小説を書いてしまったようです。奇蹟めいてますね。

 それでマネジャーが「レコーディングの一回だけでいいから。あとは歌わなくていいから」と説得し、明菜はふてくされて歌った。このふてくされ感がよかった。「少女A」は見事に大ヒットし、この後、僕は多くのアイドルの作詞を手がけることになります。

 アイドルの歌詞を書くのは難しいものです。傑作と呼ばれる歌も数多くあるけど、やはり力がないと絶対書けるものではありません。売れることがトッププライオリティなのですから、ヒットしなくては無意味という宿命を背負ってるんです。

 荻野目洋子の大ヒット曲に「六本木純情派」がありますが、このタイトル、実は打ち合わせの場所からつけられたものなんです。当時は六本木に全日空ホテルができたばかりで、そこで事務所の社長と僕とレコード会社のディレクターの3人で曲の打ち合わせをしようという話になりました。そこで2曲について話し合ったのですが、そのうちの1曲を聴いた時、僕が得意とするマイナーのエイトビートの曲だったんです。聴いた瞬間からこの曲に自分が詞をつければ間違いなく売れると確信しました。社長とディレクターは「本当なの?」と言いましたが、僕は「絶対です、これでいきましょう」と言いました。それでこの曲のタイトルをどうしようかという話になったのですが、社長が「ここ六本木だから、六本木のなんとかっていう歌をやろうよ」と。

 六本木という地名は字面も音感も、ポップでカッコいいんです。で六本木でいきましょうということになった。そこで僕は六本木とは対極にあるイメージシンボルの「純情」を組み合わせましょうと提案しました。「六本木純情」と。


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