田原総一朗「命とりとなった舛添都知事の『誰にも負けない自信』」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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田原総一朗「命とりとなった舛添都知事の『誰にも負けない自信』」

連載「ギロン堂」

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「舛添氏は自民党に裏切られた、と怒っていることだろう」(※イメージ)

「舛添氏は自民党に裏切られた、と怒っていることだろう」(※イメージ)

 都知事を辞任した舛添要一氏をマスメディアに登場させたのは、ジャーナリストの田原総一朗氏だったという。氏は今、責任の一端を感じているという。

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 東京都の舛添要一知事が、6月15日に政治資金支出などをめぐる公私混同問題で都政を混乱させた、という責任をとって辞職願を提出した。

 自民・公明を含む都議会全7会派が15日午後の本会議に共同で不信任案を提出することを決めて、可決が確実になったために、舛添知事は辞職を決断したのだと言われている。

 そもそも舛添氏をマスメディアに引っ張り出したのは私である。その意味では責任の一端を感じている。

 実は、私は京大教授であった国際政治学者の高坂正堯氏を深く信頼していた。そして、その高坂氏の後を継いでくれる若い学者を探していたのである。

 そして、探し当てたのが舛添氏だった。

 舛添氏は当時、東大の助教授で、専門は国際政治であった。会ってみると、高坂氏とはイメージが異なりリベラルではなかったが、歯切れよく、世論に迎合せずにズバズバ発言する人物で、私はマスメディアでウケる学者だと直感した。それまで舛添氏はマスメディアとはまったく無縁の学者であったが、私は舛添氏に始まったばかりの「朝まで生テレビ!」に登場してもらった。大島渚氏や野坂昭如氏、小田実氏、西部邁氏などが、すさまじいばかりの激論を繰り広げていた時代である。舛添氏はいささかも臆せず論争に挑んだ。しかも、当時は日本の犯した誤りなどを厳しく追求する論客が多かったのだが、舛添氏は日本の優れた部分や強さを強調する数少ない人物で、その点が注目されて、またたく間に超過密日程となった。そして、当然のように政界に入った。

 舛添氏は頭脳の切れ味でも、論理展開の鋭さでも、誰にも負けないという自信を持っていて、天下をとろうと考えたのであろう。選んだのは、もちろん政権政党である自民党であった。

 政界でも、舛添氏の頭脳の切れ味と強い意欲は評価されて、厚生労働相にも就任し、自民党の憲法草案(2005年)の作成でも中心的役割を果たした。そして自民党内でも、舛添総裁という声が出始めていた。


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