部屋を立ち上げた当時の貴乃花親方 (c)朝日新聞社
部屋を立ち上げた当時の貴乃花親方 (c)朝日新聞社

 貴乃花部屋の東京・江東区への移転話……。“若貴フィーバー”の聖地が引っ越すと聞けば、なぜ?と思わずにいられない。

 2003年1月場所限りで引退した貴乃花親方は一代年寄として部屋付き親方になり、その年の秋から入退院を繰り返した二子山親方から翌04年2月に部屋を継承。東京・中野新橋で貴乃花部屋がスタートした。二子山親方は口腔(こうくう)底がんで05年5月に亡くなったが、前年5月、彼は持っていた“藤島”株を一門が異なる武蔵川部屋の元大関武双山に譲渡している。

「それが格安で、しかも貴乃花には渡らなかった。01年に離婚した二子山親方にはその後付き合った女性がいて、何か残したかったようです」(角界関係者)

 財産でもあった親方株が流出し、景気のいいタニマチが大勢いた後援会を解散していた貴乃花親方。ハードルを低くして相撲を普及させたいとサポーター制度を導入したが思うように資金が集まらず、部屋の財布事情は悪化していた。

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