数多くの“田中角栄本”が書店に並び、「角栄ブーム」が起きている。ジャーナリストの田原総一朗氏は、護憲派政治家への渇望があるのではと分析する。
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いま、どの書店にも田中角栄について書かれた本がやたらに目につく。「角栄ブーム」なのである。
一つには、田中が他の政治家にない、どでかい構想力を持っていたことが見直されているのだ。
田中は、1960年代の末に『都市政策大綱』という本をまとめた。
その前文で、「都市の主人は工業や機械ではなくて、人間そのものである」とうたった。そして「この都市政策は日本列島全体を改造して、高能率で均衡のとれた、一つの広域都市圏に発展させる」と述べていた。
日本列島を一つの広域都市圏にする。そのためには、北海道から九州まで、どこからどこへでも日帰りで往復できなくてはならない(当時は、沖縄は返還されていなかった)。そこで田中は、「1日生活圏」「1日経済圏」という言葉を提唱した。
当時、東京や名古屋、大阪など、太平洋側の大都市の過密と、日本海側や内陸部の過疎が深刻な問題となっていた。そこで田中は、日本列島の大構造改革をしようとしたのだ。
田中は日本列島を一つの広域都市圏にして、さきの条件が達成できれば、第2次、第3次産業を全国に配置することができ、日本海側や内陸部の過疎化に歯止めがかかると考えたのである。
そのためには北海道から九州まで、それも太平洋側にも日本海側にも新幹線を通し、全国に高速道路を張り巡らせる。そして、第2、第3の国際空港と各地の地方空港を建設し、北海道、本州、四国、九州の四つの島をトンネルか橋で結ぶ。まさに現在の日本の構造を、40年以上前に構想していたのである。
田中は30本以上の法律を、いわゆる議員立法としてつくり上げているが、このような政治家は彼以前にも、以後にもいない。もちろん、田中が首相になって、まず行ったのは日中国交正常化であり、それまでの首相たちが台湾に向けていた視野を大きく切り替えたことはあらためて記すまでもないだろう。
だが意外に知られていないのは、田中がいわゆる護憲派で、憲法改正に強く反対しており、これこそが「角福戦争」、つまり福田赳夫との対立点だったことである。
田中はノモンハン事件に一兵卒としてかり出され、あやうく生命を失いそうな体験をした。それで、戦争というのはバカげたことで二度とやってはいけないと、私にも強い語調で語ったことがある。
若い世代のために記しておくが、自民党には判然と2本の異なる流れがあった。田中、大平正芳、宮沢喜一、加藤紘一とつながるのは護憲のハト派であり、岸信介、福田赳夫、小泉純一郎、さらに安倍晋三へつながるのは改憲、タカ派である。
ハト派が主流の場合はタカ派が反主流派、タカ派が主流の場合はハト派が反主流派となって、その意味では自民党はいつの時代もバランスがとれていた。ところが、小選挙区制のためもあって、いまや、タカ派の安倍主流派に対して反主流派も非主流派もいなくなってしまった。
いま田中角栄がウケるのは、少なからぬ国民がなんとかしてハト派の手がかりをつかみたいと願っているのではないか。
※週刊朝日 2016年6月3日号