清原被告へ東尾修がエール「名球会は門戸を閉ざすことはない」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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清原被告へ東尾修がエール「名球会は門戸を閉ざすことはない」

連載「ときどきビーンボール」

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清原被告の初公判に証人として出廷後、報道陣の質問に答える佐々木主浩さん (c)朝日新聞社

清原被告の初公判に証人として出廷後、報道陣の質問に答える佐々木主浩さん (c)朝日新聞社

 覚せい剤取締法違反の罪に問われている元プロ野球選手、清原和博被告。西武ライオンズ時代に監督として清原被告とともに戦った東尾修氏は、彼の当時の様子や今後について語った。

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 西武時代にチームメート、そして監督と選手という関係だった清原和博被告の初公判が東京地裁であった。法廷での内容が事細かに報じられ、読者の方々もいろんな思いを抱えていることでしょう。

 5月31日に予定される判決が出た後、私もキヨに電話を入れようと思っている。かける言葉があるとすれば、初公判で口にした思い、決意を忘れるなということだね。

 野球人としての「清原和博」だけでなく、薬におぼれた「清原和博」という、「陽」と「陰」をともに背負って生きる人生になる。現役時代のような大声援を受けることはないかもしれない。だが、そのことで孤独を感じる前に、自分の覚悟と向き合ってほしい。そして、信頼してくれる仲間を今度こそ頼ってほしい。

 キヨは野球に対しては本当に純粋な男だったが、心は一定でなかった面もある。バットを本当に大事にする一方で、不振な時に壁を叩くなどモノに八つ当たりすることもあった。

 キヨが西武に入団してから、プロ選手として成功した先に何があるのかを伝えてきたつもりだ。「好きになった女がいたら、グラウンドに連れていって姿を見せることだ」「お前は(内角球の)避け方が下手。余計な挑発はせず我慢することだ」――。

 野球と向き合う中で、社会との付き合い方を身につけてほしいと思っていたが、どこか不器用なところもあったのだろう。1995年オフに移籍の希望を本人から聞いた。「もう1年頑張ろう」と話したが、翌年も満足のいく成績は残せなかった(打率2割5分7厘、31本塁打、84打点)。私も「彼を復活させるには、東京ドームの4万、5万の大観衆しかないな」と本人を送り出したことを覚えている。


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