妻:ずっと後になってから継母に言われました。「美加ちゃん、今だから言えるけど、あの後、パパ疲れちゃって2、3日動けなかったのよ」って。

夫:泳いだ後はご飯食べて、お酒飲んで。でも、巨泉さんと会話は全然しなかったですね。

妻:もともとこの人はおしゃべりじゃない。大橋家はこのとおり、みんなおしゃべりだけど。

夫:僕はしゃべるのがあまり得意じゃない。聞き役のほうがラクなんです。

妻:だからうちの親戚にもみんなにウケがいいよね。

夫:まあ聞き役と言っていますけど、本当は口を挟む余地がないんです(笑)。

――こうして二人は1989年に結婚。妻は「子どもは産まないけど、いい?」と宣言していたという。理由は自身のつらい経験にあった。

妻:私ね、親のことで、子どもの頃いじめにあったんです。昔は「親が離婚している」ということがあまりなかったし、しかも親が芸能人でしょう? 中学のときが一番ひどくて、「巨泉」が私の呼び名だった。「なぜ一緒に住んでもいない、思い出もない父のことで、ここまでいじめられなきゃいけないの!?」って思いました。それに母からはずっと「女は結婚して子どもを産んでも、幸せになれるとは限らない」と言われていた。だから結婚にも子どもを持つことにも、あまり夢を持たないでいたんです。

――妻が4歳のとき、父・巨泉さんは家族を置いて家を出た。当時、巨泉さんは29歳。放送作家を経てテレビに出て有名になり始めたころだった。

妻:そのころの父の記憶はないんですよ。写真もほとんどない。離婚してからは母が父親で、祖母が母親みたいなものだった。母は私と妹と祖母、全員を養ってお手伝いさんまで雇っていたんですから、すごい人だなと思います。でも母は私に輪をかけて真面目な人。だから離婚のきっかけを作った父を許さなかった。父は原因を作ったのは自分で、すごく悪かったと思ってくれているんですよね。それは大人になって父と付き合い始めてよくわかりました。

週刊朝日 2016年4月29日号より抜粋